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銀 あけみ(しろがね - 、本名・井村 洋子〔「銀あけみ、逝去」 『歌劇』、通算813号、1993年6月1日発行、54頁〕、1944年4月30日〔「銀あけみ(死を生きる・第一部 3つの物語:11)/兵庫」『朝日新聞』、1993年12月4日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕 - 1993年5月7日)は元宝塚歌劇団娘役(元雪組組長)。日本舞踊藤間流・藤間勘緒〔小林公平 「花の道より」 『歌劇』、通算813号、1993年6月1日発行、50頁〕。神奈川県鎌倉市出身。愛称は「イムコ」「ヨーコちゃん」「イム長」。 ==略歴== * 1944年4月30日、東京で生まれる〔。 *「宝塚に合格者を出している」という理由から山脇学園中等部に入学〔。 * 1960年、宝塚音楽学校入学〔。 * 1962年、48期生として宝塚歌劇団に入団。星組公演『メイド・イン・ニッポン〔』で初舞台。宝塚入団時の成績は75人中6位〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、64-65頁。ISBN 9784484146010〕。 * 1964年1月1日〔、花組に配属。 * 1965年、第2回ヨーロッパ公演(フランスパリ)参加。 * 1967年2月-3月、ニューヨーク公演に参加。 * 1968年5月、シンガポール・マレーシア公演に参加。同年9月、『メナムに赤い花が散る』田鶴役で出演。 * 1974年10月、声楽専科(専科)へ異動。 * 1975年9月-1976年1月、第3回ヨーロッパ公演(ソ連・フランス)に参加。 * 1978年10月-11月、南米公演(メキシコ、アルゼンチン、ブラジル)に参加。 * 1980年12月、花組副組長に就任。 * 1982年8月-9月、『夜明けの序曲』お新役で出演。同作は芸術祭大賞を受賞した。 * 1983年3月、雪組組長に就任。同年5月-6月、『うたかたの恋』ジェシカ役で出演。 * 1984年3月-5月、『風と共に去りぬ』ミード夫人役で出演。 * 1987年5月26日-28日、『カラベル・プチコンサート』出演。同年11月、カラベル・プチコンサートで初披露したオリジナル曲を収録したCD「たからづかジュエリー・ポップス -歌は私のいのち-」発売。 * 1988年2月16日、『風と共に去りぬ』千秋楽公演中に激しい頭痛を訴えたため、同公演を休演し宝塚市内の病院へ搬送。クモ膜下出血の診断を受け入院〔「銀あけみ(死を生きる・第一部 3つの物語:8)/兵庫」『朝日新聞』、1993年12月1日発行、朝刊、兵庫面 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。 * 1989年3月、雪組組長退任。 * 1993年5月7日〔午後11時30分、急性心不全のため逝去〔。享年49。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「銀あけみ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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