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鍋倉 那美(なべくら なみ、1997年4月11日 - )は、兵庫県姫路市出身の日本人の女子柔道選手である。階級は63kg級。身長161cm。血液型はB型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は内股〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号〕。現在は三井住友海上に所属〔「解体新書 鍋倉那美」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年2月号〕。 ==経歴== 柔道は5歳の時に兄2人に続いて広畑柔道教室で始めた〔。姫路市立大津小時代は同じ兵庫県の同学年である阿部一二三と大会で顔を合わせると、常に勝利を収めていたという〔 神戸新聞 2016年1月20日〕。小学校5年生の時には全国小学生学年別柔道大会40kg級で優勝を飾った。6年生の時には45kg級に出場したが予選リーグで敗れた〔〔。 オリンピックの63kg級で2連覇を達成した谷本歩実に憧れていたことから、中学は愛知県にある大成中学に進むと、谷本の出身道場である大石道場に所属することとなり、「松岡修造のように熱い」という大石公平の指導を受けることになった〔〔。1年生の時には8月の全国中学校柔道大会57kg級の準決勝で相原中学3年の芳田司に敗れて3位、団体戦でも3位となった〔。2年になると、8月の全国中学校柔道大会では63kg級に階級を上げるが、準々決勝で香長中学3年の池絵梨菜に敗れて5位、団体戦でも3位にとどまった〔。2012年3月の近代柔道杯団体戦では優勝した〔。3年の時には4月の全日本カデ準決勝で東松山南中学3年の嶺井美穂に1-2の判定で惜敗して3位にとどまった〔。8月の全国中学校柔道大会では準決勝までの4試合を全て立ち技で一本勝ちして総計59秒で終わらせるなど圧倒的な強さで勝ち上がると、同じく全て一本勝ちで勝ち上がってきた嶺井との対戦となり、GSにもつれこむ接戦となったものの、2-1の判定で辛勝して優勝を飾った。さらに団体戦でも優勝して2冠を達成した〔〕。9月のマルちゃん杯団体戦でも優勝して、中学団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、マルちゃん杯)を達成した〔〕。 大成高校に進むと、1年の時には4月の全日本カデ決勝で世界カデチャンピオンである東大阪大敬愛高校2年の池を内股で破って優勝を飾った〔〕。8月のインターハイの個人戦では準決勝で桐蔭学園高校1年の嶺井に0-3の判定で敗れて3位だった。団体戦でも3位となった。2014年3月の全国高校選手権決勝では、嶺井を準々決勝で破った新田高校2年の佐藤史織を判定で破って優勝を飾った〔男子無差別級 日刊スポーツ 2014年3月20日〕。 2年になると、4月のロシアジュニア国際で世界ジュニアチャンピオンであるオランダのドー・ベレマを破るなどして優勝を飾った〔ロシア・ジュニア国際 スポーツニッポン 2014年4月20日〕。7月の金鷲旗では3位となった。8月のインターハイの団体戦では2位になったが、個人戦では準々決勝でライバルの嶺井に技ありで敗れて5位に終わった〔 日刊スポーツ 2014年8月7日〕。9月の全日本ジュニアでは決勝で嶺井に指導1で敗れたが、嶺井とともに世界ジュニア代表に選ばれた〔〕。10月の世界ジュニアでは準決勝までオール一本勝ちするも、決勝で嶺井に有効で敗れた〔 時事通信 2014年10月25日〕〔World Championships, Fort Lauderdale 2014 DAY 3 〕。団体戦では準決勝まで全て勝利すると、決勝のフランス戦でも一本勝ちしてチームの優勝を決定付けた〔 産経新聞 2014年10月27日〕〔World Championships, Fort Lauderdale 2014 DAY 5 〕。11月の講道館杯では初戦で敗れた。2015年3月の全国高校選手権個人戦では決勝で嶺井に指導1で敗れて2連覇はならなかった。また、団体戦でも2位に終わった〔 サンケイスポーツ 2015年3月20日〕。 3年になると、6月に名古屋で開催された東アジア選手権では、決勝で高校の後輩である1年の山室未咲を有効で破って優勝した〔 サンケイスポーツ 2015年6月20日〕。さらに団体戦でも優勝を飾った。7月の金鷲旗では決勝の敬愛高校戦で1階級上の新森涼と引き分けに終わると、チームも2位にとどまった。8月のインターハイ個人戦ではライバルの嶺井が出場していないこともあり順当に優勝を飾った。団体戦でも決勝の敬愛高校戦で78kg級の梅津志悠を技ありで破るなどしてチームの初優勝に貢献した。中学時代に団体3冠を達成したメンバー(鈴木伊織と中江美裕)で高校においてもようやく全国優勝を飾ることになった。今大会の団体戦で優勝したのが高校生活で一番の思い出になったという〔 サンケイスポーツ 2015年8月11日〕〔 読売新聞 2015年8月12日〕。9月の全日本ジュニアでは嶺井が出ていなかったこともあって、決勝で筑波大学2年の能智亜衣美を上四方固で破るなどオール一本勝ちで優勝した〔 時事通信 2015年9月13日〕。10月の国体少年女子の部でも優勝した。続く世界ジュニアでは決勝でロシアのディアナ・ジガロスを合技で破ったのをはじめ、5試合のうち4試合を一本勝ちして優勝を飾った〔 サンケイスポーツ 2015年10月26日〕〔Junior World Championships 2015, Abu Dhabi - DAY 3 〕。団体戦では決勝のフランス戦を始め全試合に勝利してチームの優勝に貢献した〔 時事通信 2015年10月28日〕〔Japan prove judo future is bright with team sweep at IJF Junior World Championships 〕。11月の講道館杯では決勝まで進むが、能智に指導1で敗れて2位にとどまった〔 全日本柔道連盟 2015年11月8日〕。12月のグランドスラム・東京では初戦でスウェーデンの選手と対戦すると、技ありと有効を先取しながら終了直前に隅返で逆転の一本負けを喫した〔グランドスラム東京2015 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鍋倉那美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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