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鍋島 茂義(なべしま しげよし、寛政12年10月25日(1800年12月11日) - 文久2年11月27日(1863年1月16日))は、江戸時代末期の第28代佐賀藩自治領武雄領主。 通称は十左衛門。妻は佐賀藩主鍋島斉直の娘(斉正(直正)の姉)。墓は佐賀県武雄市の円応寺にある。 == 経歴 == その前半生は佐賀藩の請役(藩務を総理する執政職)として藩の財政改革を担当するも、天保3年(1832年)、財政的余裕がないとして岳父で前藩主の鍋島斉直の江戸出府を厳しく戒めたため請役を罷免される。 後半生は武雄領に戻り、天保5年(1834年)、日本の封建領主で最初に高島秋帆に弟子入りして西洋式砲術や科学技術を究めるとともに、義弟でもある藩主斉正に大きな影響を与え、幕末期の佐賀藩の高度な軍事力・技術力開発のさきがけとなった。 天保10年(1839年)に7歳の嫡子鍋島茂昌に武雄領主の地位を譲り隠居している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鍋島茂義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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