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長崎目付(ながさきめつけ)は江戸幕府の役職の1つ。長崎奉行の監視・補佐のために設置された。 == 概略 == この役職は、正徳5年(1715年)の海舶互市新例により設けられた。その主な職務は長崎奉行と長崎地下役人の監視と、奉行の補佐であった。長崎奉行が3人制・4人制であった頃は奉行同士の相互監視制であったが〔長崎奉行は、貞享3年(1686年)に3人、元禄12年(1699年)に4人、正徳3年(1713年)には3人だったが、新例発布時には従来の2人制に戻った。〕、馴れ合いを防ぐため、半年の任期の目付を設置して厳しく監視する体制となった。一方で、これは目付と奉行との相互監視制でもあった。 その権限は大きく、長崎奉行にとって目付は目の上のこぶのような存在であった。文化元年(1804年)に目付屋敷で支配勘定として務めた太田蜀山人が弟に送った書簡にも「長崎では奉行所を鯨屋敷と呼び、目付屋敷を鯱矛屋敷と呼ぶ」とあり、これは長崎奉行を鯨に、目付を鯱に例えてその関係を言い表していた。 長崎目付には、基本的には目付代の使番がその役目を負って長崎へ派遣された。身分は、布衣の格式であったが、後に長崎奉行に昇格する者もいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長崎目付」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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