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長野 吉彰(ながの よしあき、1925年(大正14年)7月3日 - )は、日本の銀行家。肥後銀行常任顧問。熊本経済同友会名誉代表幹事。藍綬褒章1988年(昭和63年)。 == 人物 == 熊本県玉名郡弥富村(現玉名市)生、熊本市出身〔 くまもとの偉人 >長野 吉彰(ながの よしあき) 熊本県教育委員会ウェブサイト 2011年12月18日閲覧〕。 九州大学卒業後、肥後銀行入行。各部長等を歴任後、1984年(昭和59年)には同行初のプロパーとして、頭取に就任した〔日本経済新聞 1984年6月15日〕。 9年間の頭取在任時は、1985年(昭和60年)9月には東証、大証1部への上場。新事務センターを建設し第三次オンラインシステム稼動を実現させた。また、業容の拡大にもとりくみ1990年(平成2年)には預金残高2兆円、融資残高1兆5000億円の達成も成し遂げた。さらに、国際化と金融の自由化への対応をはかるためシンガポール駐在員事務所も開設した。そのほか流通経済を中心に調査を行う財団法人地域流通経済研究所を設立や肥後の水資源愛護賞を創設もした〔肥後銀行八十年史 2006年〕。 1987年(昭和62年)には、自身の後継者として金融の国際化、資金証券に強い人材として富士銀行常務であった稲垣精一を自らスカウト。後継者として頭取職を委ねた。 現在は同行常任顧問を務める〔日本経済新聞 1990年8月17日〕。 2009年(平成21年)に肥後銀行頭取に就任した甲斐隆博は娘婿にあたる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長野吉彰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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