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阿部 伸行(あべ のぶゆき、1984年4月27日 - )は、東京都東大和市出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 ==来歴== 小学校4年生(9歳)時にサッカーを始める。FC東京ファンの両親の影響もあって、高校生時にはFC東京U-18に加入。高校2年時(2001年)にはクラブユース選手権で優勝を経験している。シュートストップを磨いて、3年時(2002年)にはトップチームの練習に帯同したものの昇格は叶わず〔流経大阿部獲得 大学選抜GK 東京中日スポーツ (2006年10月18日)〕、2003年に流通経済大学へ進学。同大学サッカー部では先輩の塩田仁史が卒業しFC東京へ入団した後を引き継ぎゴールマウスを守った。コーチングやキック精度を高め、4年時(2006年)には関東大学リーグ1部で優勝。同期には阿部嵩、糸数昌太、久保田圭一、難波宏明、西森正明、船山祐二らがいた。全日本大学選抜にも選出され、2度のデンソーカップ優勝を果たし、ベストGKにも選出された。2004年1月にはカタール国際ユーストーナメントで正GKを務めた。 2005年にJFA特別指定選手となりFC東京の練習に参加〔 FC東京 (2005年8月31日)〕、2007年に大学を卒業し、FC東京に正式に入団した〔 FC東京 (2006年10月17日)〕。FC東京において下部組織から大学経由でトップチーム入りした例は阿部が初。2007年は、塩田と土肥洋一の控えとしてリーグ戦4試合でベンチ入りしたが〔選手出場記録 Jリーグ (2007年12月1日)〕、土肥が退団した2008年には新加入の荻晃太が第2GKに据えられ、ベンチ入りすらできなかった。2009年は、塩田が虫垂炎・腸閉塞を発症するなどシーズン開幕前からGKに離脱者が相次いだが、阿部もキャンプでフルメニューをこなすことができず、開幕スタメンには権田修一が入り、そのまま正GKとして定着。塩田もシーズン半ばに復帰したため、阿部が出場機会を得ることはなく〔選手出場記録 Jリーグ (2009年12月5日)〕、2010年限りで退団した。2008年から2010年にはJリーグ選手協会の副支部長を務めている〔Jリーグ選手協会 JPFA 役員名簿2008 同2009 同2010 〕。 2011年、湘南ベルマーレに完全移籍〔阿部伸行選手 湘南ベルマーレへ完全移籍決定のお知らせ FC東京 (2010年12月8日)〕〔阿部伸行選手 加入のお知らせ 湘南ベルマーレ、2010.12.08閲覧〕。同年10月8日、天皇杯2回戦ファジアーノ岡山ネクスト戦でプロ入り後初の公式戦出場を果たしたが〔【馬入日記:10月8日】巻選手が復帰弾!&阿部選手が初出場! 湘南ベルマーレ、2011.10.08〕、野澤洋輔と西部洋平の前にレギュラーを掴むには至らなかった。持ち前のキックを武器に地道な努力を続け、両選手が退団した2012年には京都との開幕戦で念願のリーグ戦初出場を果たし、その後も金永基を抑えて正GKの座を掴み、3年ぶりのJ1昇格に貢献した〔阿部 古巣に存在感見せる (cache ) 東京中日スポーツ (2013年5月11日)〕。2013年は自身初となるJ1での出場を続けていたが、J1第13節広島戦での頭部裂傷〔【湘南】阿部接触で流血も交代せず/J1 日刊スポーツ (2013年5月25日)〕 を機に以後は控えとなり〔選手出場記録 Jリーグ (2013年12月7日)〕、13試合の出場に留まった。同年結婚。2014年は日本人最年長選手として若いチームを支えたが、シーズン開幕前の負傷が響いて〔[湘南]今季初のベンチ入りを果たした阿部伸行。「一言で言えば『やるしかない』」 blogola (2014年9月12日)〕 正GKには新加入の秋元陽太が据えられ、出場機会は無かった。同年限りで湘南とは契約満了〔契約満了選手のお知らせ 湘南ベルマーレ (2014年12月1日)〕。 2015年よりギラヴァンツ北九州へ完全移籍〔阿部伸行選手 ギラヴァンツ北九州へ移籍のお知らせ 湘南ベルマーレ (2014年12月19日)〕〔阿部 伸行 選手 湘南ベルマーレより完全移籍加入のお知らせ ギラヴァンツ北九州 (2014年12月19日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部伸行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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