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阿部正次 : ミニ英和和英辞書
阿部正次[あべ まさつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

阿部正次 : ウィキペディア日本語版
阿部正次[あべ まさつぐ]

阿部 正次(あべ まさつぐ)は、江戸時代初期の大名武蔵国鳩ヶ谷藩上総国大多喜藩相模国小田原藩を経て、武蔵国岩槻藩初代藩主。また、大坂城代を務めた。阿部家宗家初代。
== 経歴 ==
阿部正勝の長男。母は今川氏家臣・江原定次の娘。三河国愛知県)で誕生。
慶長5年(1600年)に家督を継ぎ、武蔵国鳩谷(埼玉県川口市)5000石、慶長15年(1610年)に下野国鹿沼(栃木県鹿沼市)と転ずる。
慶長19年(1614年)の大坂の陣では、大番組衆を率いて従軍し諸将が進軍を留まる中、大坂城に一番に突入して奮戦、一番首も挙げて戦功第一と証せられた。戦後は急速に加増を重ね、寛永3年(1626年)には8万6000石余となり、大坂城代に任じられ、死去するまで22年間もの長期にわたって務めた。
寛永14年(1637年)に勃発した島原の乱の際には、大坂城代として江戸九州間の連絡・調整にあたった。
寛永15年(1638年)4月22日、4万6000石を嫡男重次に譲り、1万石を孫の正令(のち阿部忠秋の養子)に分与し、自身は3万石を領する。正保4年(1647年)、現職のまま大坂城中で病没した。享年79。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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