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阿部 正武(あべ まさたけ)は、江戸時代前期の大名、老中。武蔵忍藩主。忠秋系阿部家3代。阿部正能の長男。 延宝5年(1677年)、父の隠居により家督を相続する。延宝8年(1680年)に奏者番兼寺社奉行、天和元年(1681年)に老中に抜擢され、武家諸法度天和令作成、貨幣改鋳、湯島聖堂建設、赤穂事件などを担当する傍ら、藩政では三宅尚斎を儒臣をとして忍藩に招いた。元禄14年(1701年)以降、忍城を近世城郭として整備し、三階櫓を建設した。宝永元年(1704年)死去。 『土芥寇讎記』では大久保忠朝、戸田忠昌と並んで「善人の良将」と評されている。 == 略歴 == * 1649年(慶安2年):誕生 * 1677年(延宝5年):父正能隠居、阿部家相続、1万石を弟・正晴に分与 * 1680年(延宝8年):奏者番兼寺社奉行(8月11日) * 1681年(天和元年):老中(3月26日) * 1684年(貞享元年)8月28日、江戸城内にて大老堀田正俊殺害事件に遭遇。大久保忠朝、戸田忠昌と共に稲葉正休を討つ。 * 1686年(貞享3年):1万石加増され9万石 * 1694年(元禄7年):1万石加増され10万石 * 1704年(宝永元年):現役のまま死去(9月17日)、享年56 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阿部正武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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