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韓国正教会大教区は、韓国における正教会の府主教区。コンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にある。運営財団法人(公益法人)は韓国正教会維持財団〔韓国の「財団法人」は日本の財団法人よりも範囲が広く、日本で言うところの宗教法人も含んでいる。文化体育観光部所管で公式には1988年設立。〕。 府主教座聖堂は、ソウル特別市のソウル聖ニコラオス大聖堂。2013年時点での信徒数は約3,500人〔ハンギョレ新聞2013年2月13日アンブロシオス府主教インタビューの記事から。〕。 なお、ここでは、上記府主教区の他に在外ロシア正教会管轄下にある在韓ロシア正教会及びモスクワ総主教庁管轄下にある北朝鮮における正教会についても扱う。 == 歴史 == === モスクワ総主教庁管轄下 (1900年 - 1955年) === 〔基本的に公式サイト韓国語版 によっているが、公式サイト英語版 で一部補足している。〕韓国の正教会は掌院クリサントス・セトコフスキーが1900年に在韓ロシア人正教徒とロシアで洗礼を受けた韓国人正教徒を牧会するために来韓したことを起源とする。1903年には漢城府(現在のソウル)に聖ニコライ聖堂(現在の聖ニコラオス大聖堂とは別。後述)が建ち、伝道が始まった。所属は、当初、サンクトペテルブルク府主教区、1908年よりウラジオストク主教区であった。 ところが、1917年にロシア革命が勃発すると、モスクワ総主教庁からの支援が絶たれ、韓国の正教会は苦難の道を歩まねばならなくなった〔もっとも、この点においては、日本正教会も同様である。詳しくは日本ハリストス正教会#大正・昭和時代参照。〕。この情勢下において、韓国の正教会は1921年に、東京大主教区(1931年より東京府主教区)管轄下となった。ただ、日本内地では、1940年に宗教団体法によって、日本人以外の宗教団体統括者はその地位を追われることとなったが、韓国では、1949年に掌院ポリカルプ(プリイマク)がソビエト連邦スパイ容疑で韓国警察に逮捕・追放されるまで、ロシア人聖職者が韓国の正教会を導き続けた。だが、1950年に朝鮮戦争が勃発し、当時唯一の神品であった司祭アレクセイ・キムが北朝鮮に拉致されるに及んで、韓国の正教会は完全に活動停止に追い込まれるに至った。 その中にあって、司牧支援を行ったのはギリシャ軍の従軍司祭達であった。掌院アンドレアス・ハルキオブロスは、破損した聖ニコライ聖堂を修復し、司牧活動を行った。また、1954年1月に、ボリス・ムンを日本に密航させ〔当時(1954年)、日本と韓国に国交がなかったため。国交回復は1965年の日韓基本条約締結以降。〕、東京でイリネイ主教(肩書当時)〔日本正教会では通常「府主教イリネイ」の名前で記憶されているが、イリネイが大主教に昇叙されたのが1957年(『東京復活大聖堂 修復成聖記念誌』p96, 1998.5.17)、府主教になったのは東京府主教区離任後の1965年(出典:『神のみ旨に生きた激動時代の僕たち』牛丸康夫 1985年 68-69頁)。〕から神品機密が受けられるように取り計らった。この流れもあって、1955年〔韓国語版では1956年、英語版では1955年とあり原資料が一致しない。詳細はノートにて。〕の降誕祭後の信徒総会でコンスタンディヌーポリ総主教庁管轄下に移ることを満場一致で決議し、韓国の正教会はモスクワ総主教庁からコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下に移ることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「韓国正教会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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