|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 音 : [おと, ね] 1. (n,n-suf) sound 2. note ・ 羽 : [わ, はね] 1. (n-suf) counter for birds 2. counter for rabbits ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 部屋 : [へや] 【名詞】 1. (1) room 2. (2) sumo stable
音羽山部屋(おとわやまべや)は、かつて存在した相撲部屋。 ==沿革== 江戸時代から続く名跡で、雷部屋と関係が深い。 初代、3代、4代音羽山峰右エ門(泉嵜雷助より改名)、6代音羽山峰右エ門(十万ノ海剛右衛門より改名)が名跡を音羽山から雷に変更しており、部屋経営も行っている。 雷部屋の元幕内音羽山峰右エ門(築瀬嶽熊吉より改名)は、慶應2年より7代音羽山を襲名したが、すぐに廃業した。その後同じ雷部屋の元関脇平石七太夫が8代目、元十両出釈迦山与吉が9代目を襲名して部屋を存続させた。弟子には幕内井筒菊治郎(5代井筒親方)、幕内出釈迦山 峯吉(9代間垣親方)らがいた。 佐野山部屋の元幕内新川市平は現役中に10代目となり部屋も興したが、力士を育てられず現役のまま没した。 雷部屋の元十両梅垣直治郎は明治30年(1897年)5月に11代音羽山を襲名し部屋を興したが、関取を出すことなく没した。 尾車部屋の幕内、白岩亮治が引退して、1930年に再興した。しかし、めぼしい力士もでないまま、1945年かぎりで部屋を閉じ、全員が時津風部屋に移籍した。その中に、後の幕内吉田川征四郎がいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「音羽山部屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|