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須賀 龍郎(すが たつろう、1924年9月29日 - 2015年1月16日)は日本の政治家。鹿児島県知事を2期8年務めた。 == 来歴 == 1924(大正13)年、鹿児島県指宿市出身。1944年に天理語学専門学校(現・天理大学)を卒業。1948年に鹿児島県庁に入庁し、東京事務所長や企画部長、総務部長を歴任した。1983年に退職して県開発公社(現 公益財団法人鹿児島県地域振興公社)副理事長となり、翌1984年に県の出納長に就任。その後副知事に就任。 1996年1月に脳梗塞で倒れ、執務不能となった土屋佳照知事(1996年6月26日辞職)の職務代理者を〔鹿児島県告示第902号の2(知事の職務代理、平成8年5月14日発行「鹿児島県公報号外」所収、)〕、土屋の後任を選ぶ知事選挙に自民党、新進党、社会党、新党さきがけ、公明党の推薦を得て出馬して当選を果たす。初の鹿児島県庁職員生え抜きの知事となった〔]鹿児島読売テレビ〕。 1999年には胃癌で入院したが、翌年の県知事選挙に出馬し、自民党、民主党、公明党、自由連合の推薦を得て再選。2004年の知事選には出馬せず、当時の現職知事では最高齢、最後の大正生まれの知事〔TOKYO Web 東京新聞〕として退任した。 県庁在任中から九州新幹線鹿児島ルート(2004年鹿児島中央 - 新八代間部分開業)の整備に尽力したほか、県知事在任中にはマリンポートかごしまの建設を進めた〔KTS鹿児島テレビニュース〕。2002年就航鹿児島 - 上海間の定期航空路線の誘致活動にも尽くし、2003年には九州電力川内原子力発電所3号機の増設を巡って、「調査と増設は別」として、環境影響調査の受け入れを表明した〔YOMIURI ONLINE 読売新聞〕。 知事退任後の2004年(80歳)に鹿児島空港ビルディングの社長に就任。尚、前任者は高齢(80歳)を理由に退職している。2005年に旭日重光章を受章。2015年1月16日、脳梗塞のため鹿児島市医師会病院で死去した〔373news.com 南日本新聞社〕。90歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「須賀龍郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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