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10.19(じってんいちきゅう)とは、1988年10月19日に川崎球場でダブルヘッダーにより行われた日本プロ野球のパシフィック・リーグ、ロッテオリオンズ〔現在の千葉ロッテマリーンズ〕対近鉄バファローズの試合である。 近鉄が連勝すれば近鉄のパ・リーグ優勝が決定し、近鉄が1つでも敗れるか引き分けるかで西武ライオンズ〔現在の埼玉西武ライオンズ〕の優勝が決定するという状況のもと、近鉄が第2試合で引き分けて、西武のリーグ優勝となった。川崎球場は超満員となり、第2試合途中から急遽全国的にテレビ中継が放送され(近鉄の地元、関西地区では第1試合開始当初から中継)、高視聴率を記録した。〔548頁-551頁 1988年10月19日を日本プロ野球史上「最も熱い1日」と形容している。〕 2010年に日本野球機構が行った「最高の試合」「名勝負・名場面」調査では、監督およびコーチ、報道関係者の両者が「最高の試合」の第2位にこの試合を選んでいる〔「最高の試合」「名場面・名勝負」監督、選手らが選ぶ記憶に残る試合 日本野球機構特別ウェブページ「ここに、世界一がある。」〕。 この項目では翌1989年の10月12日に西武球場で行われた西武対近鉄のダブルヘッダーについても記述する。 == 10月19日直前の状況 == 近鉄バファローズは、1988年6月、大麻不法所持により逮捕、退団となった主砲のリチャード・デービスに代わる選手として、中日ドラゴンズで第三の外国人選手だったラルフ・ブライアントを、同月28日に金銭トレードで獲得した。同日、首位の西武ライオンズと2位近鉄は8ゲーム差だった。9月15日の段階で、首位西武と2位近鉄は6ゲーム差であった。 しかし、その後ゲーム差が少なくなり、10月4日には西武が負けて近鉄が勝ったため、2位近鉄に優勝へのマジック14が点灯、翌日の試合にも勝ち、首位に立っている。 その年の天候などにより対ロッテオリオンズ戦の順延が続いた一方、10月22日に日本シリーズの開幕が決まっていたため、近鉄は10月7日から19日にかけての13日間で15連戦(10、19日はダブルヘッダー)、一方の西武も7日から16日まで10連戦を戦った。7日・8日に近鉄と西武の直接対決で西武が連勝し再び首位となり近鉄と2ゲーム差となるが、そこから13日までに西武は4勝1敗、近鉄が対ロッテ戦6試合に全勝として、近鉄のマジックが点灯のまま減っていった。14日から16日はともに勝ち、負けが続き、16日、西武は全日程を終了した。 近鉄は17日に阪急に敗れたため、優勝するためには残る対ロッテ戦3試合に全勝するしかなく、引き分け1つも許されない状況に追い込まれた。近鉄は阪急西宮球場から宿舎(京都)に移動するバスの車内で、佐々木修が音頭を取り、近鉄バファローズの球団歌を全員で合唱した〔Sports Graphic Number 790 35頁-39頁〕〔仰木『燃えて勝つ』 22頁-33頁〕。翌日の18日、近鉄は川崎球場で行われた対ロッテ戦に12対2で勝利し、10月19日を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「10.19」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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