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1997年アルバニア暴動(1997 rebellion in Albania)は、1997年3月に経済破綻を契機としてアルバニア共和国で発生した全国的な大規模暴動を指す。経済破綻の遠因が無限連鎖講(ネズミ講)であった事から「アルバニア宝くじ暴動」、一時的に内戦状態に陥った事から「アルバニアの無政府化」とも呼ばれた〔Anarchy in Albania: Collapse of European Collective Security? 〕。 暴徒による批判の矛先は当時のサリ・ベリシャ政権へと向かい、政府側も暴動に対して警察・軍隊による弾圧を行うなどアルバニアの治安が大きく悪化した。こうした状況に対して自国の在留住民の身辺を案じた国際社会による救出作戦(オペレーション・アルバ、オペレーション・リベレ、オペレーション・シルバーウェイク)が実行された。紛争の長期化でアルバニア難民が発生すると、イタリア・ドイツ・アメリカを主導とした治安回復作戦(オペレーション・サンライズ)が開始された。作戦によって暴動は鎮圧されて治安は回復したが、同年の総選挙でサリ・ベリシャ政権は退陣に追い込まれた〔Christopher Jarvis, The Rise and Fall of Albania's Pyramid Schemes , ''Finance & Development: A Quarterly Magazine of the IMF'', March 2000.〕〔Crisis in Albania . Public Broadcasting Service〕。 ==推移== === 背景 === 冷戦終結後の1992年、民主化を選択したアルバニア共和国ではサリ・ベリシャ大統領によるアルバニア民主党を中心とした自由主義政権が経済の自由化を推し進めていた。だが急速な自由経済の導入は他の旧東側諸国と同じく混乱と経済犯罪の発生を招き、アルバニアの場合では無限連鎖講(ネズミ講)が急速に広まって社会問題と化していた。一方で当時のアルバニアは周辺国の紛争に対して武器を密輸する事で不当な形ながら多くの外貨を獲得しており、ネズミ講で集められた資金がこうした非合法事業の資金源として機能することで一定の利益を還元する事ができていた。経済の成長を急ぐサリ・ベリシャ政権は武器密輸とネズミ講という二つの不法な経済行為をどちらも黙認するという選択を採った。 ところが1997年1月に周辺国の紛争が終結に向かうと武器密輸のビジネスは破綻し、同時に国民の半分以上が参加していたネズミ講への利益支払も頓挫した〔。大量の破産者が街に溢れ帰り、彼らは自分たちの資金を騙し取られたという被害者意識を強く抱いていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1997年アルバニア暴動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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