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19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀。この項目では、国際的な視点に基づいた19世紀について記載する。 == 19世紀の歴史 == === 帝国主義の興隆 === 19世紀のイギリスは工業化による生産力の増大により得た、圧倒的な経済力と軍事力で世界の覇権を握った。イギリスは時には武力をも用いて世界各国に自由貿易を認めさせ、イギリスを中心とした国際経済体制に世界を組み込んでいった(パクス・ブリタニカ)。この過程で、大陸国家である清やロシアと海洋国家のイギリスとの間に度重なる衝突が発生し、20世紀における世界大戦の遠因が形成された。 アジア・アフリカにとっては苦渋の時代であり、トルコ、タイ王国などの国では西欧文化を取り入れ近代化が試みられた。清国の半植民地化が実質的に始まったのは、アロー戦争敗北後に天津条約、北京条約を締結してからである。オスマン帝国もヨーロッパ諸国による介入でギリシャ独立戦争において敗北し、ムハンマド・アリーのエジプトでの台頭を止めることが出来なかった。インドではイギリスが19世紀にマラーター戦争、シク戦争を行い、インドを植民地化した。1857年にはインド大反乱が勃発したが、翌年にイギリスはこれを鎮圧し、ムガル帝国は終焉を迎えた。 19世紀の半ば頃に中米の古代文明(マヤ文明)という考え方が、まずヨーロッパで市民権を得、世界中に広がった。 日本でも1853年、アメリカのペリーが浦賀に来航、江戸幕府に開国を認めさせ、日本も欧米を中心とした世界経済に組み込まれた。1868年には長らく続いた幕藩体制は崩壊し(明治維新)、新たに発足した明治政府は欧米文化を摂取して急速な近代化を目指した。19世紀末には、近代化に成功した日本やタイ王国などの一部の国以外は、西欧列強の植民地にされるか、強い影響下におかれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「19世紀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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