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2001年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第53回大会である。 == シーズンの概要 == 2002年からは4ストローク990ccのマシンで戦うMotoGPクラスとなることが既に決定しており、2001年は500ccクラスの最後のシーズンとなった。その一方で、2001年はバレンティーノ・ロッシがグランプリの最高峰クラスに君臨し始めた最初の年でもあった。学習のための1年間であった昨シーズンを終え、いよいよ強さを発揮し始めて11勝を挙げたロッシに対し、唯一対抗したのは3勝を挙げたマックス・ビアッジであったが、それでもロッシには大きく水をあけられてしまう。この二人の戦いを象徴するのが、開幕戦鈴鹿で見られた、後に物議を醸したシーンである。ビアッジは最終コーナーからの立ち上がりでパスしようとしたロッシに幅寄せし、ロッシはコースアウトして240km/hという高速でダートに飛び出してしまった。その2周後、再びロッシが第1コーナーの侵入でビアッジに挑み、今度はそのままビアッジをパスしたロッシはその直後ビアッジに向かって中指を立てて見せたのである。〔MotoGP公式サイト内NEWS "Rossi and Biaggi feud hots up" (英語) 〕結局このまま開幕戦を制したロッシは、一度もランキングトップの座を明け渡すことなく、最終戦を待たずして第14戦でチャンピオンを決定した。 この年の500ccクラスのルーキー・オブ・ザ・イヤーにはヤマハの中野真矢が輝いた。また、鈴鹿でのロッシの勝利は、ホンダにとってはグランプリ通算500勝という記念すべき勝利であった。 日本人同士の戦いとなった250ccクラスでは、ホンダの加藤大治郎がロッシと同じくシーズン11勝という圧倒的な強さを見せ、アプリリアの原田哲也を抑えてタイトルを獲得した。 これら2クラスとはうって変わり、125ccクラスは1シーズンに7人の勝者が生まれる混戦となった。デルビの宇井陽一は最多の6勝を挙げたがノーポイントのレースも多く、優勝は3回だったが11回の表彰台という安定して好成績を残したジレラのマヌエル・ポジャーリが最終戦でチャンピオンを決めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「2001年のロードレース世界選手権」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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