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2011年イエメン騒乱(2011ねんイエメンそうらん)は、イエメンにおいて2011年から2012年にかけて発生した大規模な反政府デモとそれに付随する事件の総称である。この結果、北イエメン時代より30年以上も政権を維持したアリー・アブドッラー・サーレハは2011年12月に大統領権限を副大統領アブド・ラッボ・マンスール・ハーディーに移譲し暫定政権に移行、長期政権に事実上の幕を下ろした。一連の反政府運動は、チュニジアでのジャスミン革命が他のアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つとして数えられている。 == 背景 == イエメンはアラブ諸国でも最貧国の一つに挙げられ、失業率が3割を超えるほか、国民の半分は1日2ドル以下で生活しているとされる。 このほか、与党国民全体会議が2010年12月より大統領職の任期見直しに着手し、これが大統領の任期を無期限で延長することを可能にする、事実上の終身大統領制の導入につながると批判されてきた。またサーレハ自身が息子(共和国防衛隊司令官)への世襲を考えているとされるなど、強権政治に対する不満があった〔。 またイエメンそのものが1990年まで南北に分裂しており、1994年にも内戦が起こるなど南部の再分離独立の志向が未だに高い〔(デモが旧南イエメン中心なのは、サーレハ大統領が旧北イエメン出身者ということもあり、旧北イエメン中心の政策に対する不満から来ている)。 こうした数々の政府に対する不満がチュニジアでのジャスミン革命と結びつき、反政府運動につながったと指摘されている。 アラビア半島のアルカーイダの活動が活発になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「2011年イエメン騒乱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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