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2011年リビア内戦[2011ねんりびあないせん]
2011年リビア内戦(2011ねんリビアないせん)は、リビアにおいて2011年に起こった政治社会的要求を掲げた大規模な反政府デモを発端とする武装闘争である。アラブ圏に於いては「2月17日革命」(ثورة 17 فبراير)と呼ばれる。 2月15日に開始され、同年8月に首都トリポリが北大西洋条約機構軍の支援を受けた反体制派のリビア国民評議会の攻勢によって陥落し、40年以上政権の座にあったムアンマル・アル=カダフィ(事実上の最高権力者。以下カダフィ)大佐が率いる大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国は事実上崩壊した。その後もカダフィ大佐は抗戦を続けたが10月20日に最後の拠点スルトで身柄を拘束され、その際に受けた攻撃でカダフィ大佐は死亡した。10月23日に国民評議会によりリビア全土の解放が唱えられ内戦終結が宣言されたが、その後、親カダフィ勢力・イスラム国の台頭を招き内戦は現在まで継続している。 == 概要 == 1969年以来、41年間というアフリカ諸国最長の政権を維持するカダフィ大佐に対する退陣要求が高まった。一連の反政府運動は、チュニジアでのジャスミン革命やエジプトでのエジプト革命が他のアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つとして数えられている。この騒乱により、カダフィ大佐は政権の座を追われ、長期独裁に終止符が打たれることになった。 リビアは先に反政府デモが勃発したチュニジアやエジプトとは違い、豊富な石油や天然ガス資源を背景とした富がある程度は国民に配分されていたとされた。しかし1969年の政権掌握以来、強権的な統治を行ない、また反政府活動に対する厳しい監視や弾圧が行われており、カダフィ大佐に対する不満は鬱積していた。国民だけでなく、権力の後ろ盾となってきた軍や部族の間にも、カダフィ大佐に対する不満があったとされる。
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