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3Vボマー(またはV爆撃機、)は1950年代から1960年代にかけてイギリス空軍の戦略核爆撃機部隊で使用された3種類の爆撃機ビッカース ヴァリアント(Valiant)、ハンドレページ ヴィクター(Victor)、アブロ バルカン(Vulcan)のことである。すべて名前が「V」で始まることからこの名がある。 「3Vボマー」のように、いくつかの航空機のグループがその制式名や技術的な特徴、その時代の雰囲気などから、親しまれるあだ名を付けられることがある。例としてはアメリカ戦闘機の「センチュリーシリーズ」や「ティーンシリーズ」〔F-14からF/A-18にいたる「10番台」の戦闘機のこと。〕などが上げられる。 == 経緯 == === 開発 === イギリス空軍爆撃機軍団はレシプロ4発の重爆撃機の大編隊による空襲という戦術を第二次世界大戦を通して用いたが、大戦終結直後もこの方針を維持していた。そして第二次世界大戦の主力機アブロ ランカスターの発展型であるアブロ リンカーンをその標準爆撃機と採用した。 ジェット機の発展と核兵器の登場によってこの方針はすぐに時代遅れとなった。次世代の爆撃機は、目標に核攻撃を加えるために、高高度を防御武装なしで高速度で飛ぶことができるジェット爆撃機になると考えられた。その当時でも、その種の航空機は結局は誘導ミサイルに勝てないと予測する人々がいた。しかし、そのようなミサイルの開発は困難であることも分かっており、高空高速爆撃機は、より有力な何かが求められるようになるまでの相当期間、運用できそうであった。 核兵器によって、1機の爆撃機による攻撃でも都市または軍事施設を完全に破壊することが可能となったからには、爆撃機の大編隊はもはや不要であった。また第一世代の核兵器は大きくて重く、それを搭載する爆撃機は大型機である必要があった。そのような巨大で先進的な爆撃機は、1機あたりの単価は高価となり、生産数は非常に少なくなるはずだった。 冷戦の開始はイギリスの軍事計画の立案者に軍隊の近代化の必要を強く認識させた〔Royal Air Force, 'A Short History, Chapter 5 - Focus On Europe', http://www.raf.mod.uk/rafcms/mediafiles/F21E81DC_E902_D3CE_488720FE8488434D.pdf, p.1〕。さらにまた、アメリカとのイギリスの軍相互の不確かな関係は、特に冷戦初期、アメリカの孤立主義が束の間よみがえったかと思われた時期に、イギリスに自身の戦略的核戦力保有を決定させるに至った。 1946年後半にそのような先進的ジェット爆撃機のいろいろな仕様を考慮した後、1947年1月に、空軍省はまだアメリカもソ連も持っていないような先進ジェット爆撃機の要求仕様を提示した。要求は以前の仕様B.35/46のガイドラインに従っており、「世界のどの基地からでも1,500海里(2,775km)の距離にある目標に10,000ポンド(4,535kg)爆弾1発を運ぶことができる中距離陸上爆撃機」を求めていた。 イギリス空軍がその時点で保有していたジェット爆撃機はイングリッシュ・エレクトリック キャンベラだけであり、それは6,000ポンド(2720kg)の搭載量と、やっとソビエト連邦との国境までの航続力しかなかった。 仕様はまた全備重量が100,000ポンド(45,400kg)を超えないことも求めていたが、これは実行に当たって上方修正された。この;爆撃機は500ノット(925km/h)の巡航速度と50,000フィート(15,200m)の実用上昇限度を持つとされていた。 要求はイギリスの主要な航空機メーカーのほとんどに対して行われた。ハンドレページとアブロはこの爆撃機コンテストに対して非常に斬新な計画で答えた(これはそれぞれヴィクターおよびバルカンとなった)。空軍スタッフは保険の意味も含めて両社と契約を行うことに決定したがビッカース・アームストロング社の案はあまりに保守的であるとして拒否された。ビッカースは空軍省に働きかけてその関心を呼び覚まし、ビッカース ヴァリアントが競争相手よりはるかに早く実用化でき、より先進的な爆撃機が利用できるまでの「つなぎ」として有効であるということを納得させ、なんとか売り込むことに成功した。 空軍省は同時に、それらのいずれも成功しなかった場合のために、縮小した仕様に基づくショート社の提案(SA4 スペリン)も受け入れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「3Vボマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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