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第六五二海軍航空隊(だい652かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。あ号作戦に参戦した機動部隊の一翼を担う航空母艦飛行隊として整備され、マリアナ沖海戦で敵機動部隊への攻撃と防空を担当した。 ==沿革== 従来の空母飛行隊は、各空母に所属し、艦長の指揮下にあった。この指揮系統では、航空戦隊司令部が飛行隊を直接指揮することができない。また、飛行隊が行動中に母艦が機能不全に陥った場合、僚艦への緊急着艦に手間取ることがあった。そこで、母艦と飛行隊の指揮系統を分離し、全ての飛行隊を統括する部隊として発生した。これは先に陸軍飛行隊が実施していた「上下分離方式」を海軍が採用した最初の例で、あ号作戦後は基地航空隊でも積極的な上下分離を実施した。 *昭和19年(1944年) :3月10日 第二航空戦隊所属の隼鷹・飛鷹・龍鳳飛行隊を補強再編、 大村飛行場を原隊とし、岩国飛行場で開隊。所属は依然として二航戦。 :4月23日 岩国沖で着艦訓練、1機喪失。 以後、岩国を拠点として慣熟訓練に従事。 :5月6日 隼鷹・飛鷹・龍鳳に収容、マリアナ諸島方面に向け11日佐伯港出航。 :5月16日 二航戦、タウイタウイ島に到着。 以後、訓練に従事するが、泊地が無風のため発着艦訓練不能。 :6月13日 第一機動艦隊、タウイタウイ島出航。翌日ギマラス島で補給作業。 :6月15日 ギマラス島出航。フィリピン海に進出。 :6月19日 *第一次攻撃(9時頃)、一航戦・三航戦の3時間後天山7・爆装零戦25・零式艦上戦闘機17で敵機動部隊に向け出撃。 正午頃に敵戦闘機隊と交戦、天山1・爆装零戦5・零戦1を喪失し帰還。雷爆撃の効果なし。 *第二次攻撃(10時頃)、一航戦と共同。九九式艦上爆撃機27・天山3・零戦20の隊と彗星9・零戦6の隊で個別攻撃。両隊会敵せず 着艦技能未修得者が多数のため、当初予定に従いグァム島を目指すが、到着寸前に敵戦闘機隊と遭遇。空中戦により、グァムに到着できたのは艦爆18・彗星4・零戦8のみ。 :6月20日 薄暮攻撃のため、爆装零戦7・零戦19を一航戦と共同で出撃(一航戦はすでに大鳳・翔鶴喪失)。 爆装零戦4・零戦5喪失。 : 敵攻撃機隊来襲。飛鷹戦没。 :6月21日 第一機動艦隊遁走。翌日中城湾に帰還。 隼鷹・龍鳳の保有機…九九艦爆8(21喪失)・彗星5(6喪失)・天山3(12喪失)・爆装零戦5(22喪失)・零戦12(41喪失)。 :7月10日 二航戦解散にともない解隊。 飛鷹と六五二空の喪失によって二航戦は解散となり、生還した六五二空の要員と機体は三航戦の増強要員に当てられた。なお、グァムに到着した第二次攻撃隊のうち、空襲から逃れて脱出に成功した九九艦爆8機と彗星1機はダバオへの脱出に成功し、現地航空隊に編入された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第六五二海軍航空隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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