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土橋亭里う馬 (7代目)[どきょうてい りゅうば]
7代目土橋亭 里う馬(どきょうてい りゅうば、弘化3年9月(1846年) - 大正9年(1920年)5月21日)は東京の落語家。本名村松新三郎。 江戸両国米沢町生まれ。若くして天狗連に入り猿若町の木戸芸者(劇場の入口で役者の声色などの芸をしながら、劇の案内や宣伝をする職員)鶴八と名乗る。木戸芸者を辞めて3代目金原亭馬生?(山亭馬久二とも、多説あり)に弟子入りし馬圓。旅回りを長期の間続ける。 転機がおとずれたのが、1887年(明治20年)頃。新潟での巡演中、三遊亭圓朝門人の2代目橘家圓太郎が1879年の火事で死に無縁仏となっていたのを手厚く供養した。その事が圓朝に知れ、圓朝は新潟に赴き盛大な法事を行い、お礼に馬圓を一門に加え三遊亭圓新の名を与えたのである。 以後は東京で活躍。講釈ネタなど珍しい演目が多く、淡々と語る芸はかなりの力量であったという。1897年(明治30年)頃、4代目三遊亭圓生門で7代目司馬龍生。1902年(明治35年)10月、7代目土橋亭里う馬を襲名した。色黒なので「黒の里う馬」と呼ばれた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土橋亭里う馬 (7代目)」の詳細全文を読む
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