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CBS放送(CBS Broadcasting, Inc.)は、アメリカ合衆国最大のテレビ・ラジオ・ネットワークを有する放送局。NBC、ABCと並ぶ3大ネットワーク(Big Three Television Network)のひとつ。最も早くラジオネットワークを築き上げたパイオニアでもある。1927年創立。本社はニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンの西57丁目。会長・代表取締役はナショナル・アミューズメント社のサムナー・レッドストーン。CEOはバイアコム(Viacom)のCEOだったレス・ムーンヴェス。 1997年までは正式名称Columbia Broadcasting System(コロムビア放送)、略称CBSであったが現在の正式名称は上に同じ。愛称は「目・瞳」を表したロゴから「EYE(NETWORK)」と呼ばれる。以前は視聴者層を選ぶ製作気質を持っていたこと、1950年までニューヨーク市のティファニー本社前に本社があったことなどから、時として「The Tiffany Network」とも呼ばれる。 現在のCBS放送のオーナーはCBSコーポレーション(旧Viacomが2006年に社名変更)、アメリカだけでなくカナダ、メキシコでも放送網を持つ。日本では東京放送ホールディングス(TBS)が業務提携しており、TBSの局名および略称はCBSに倣ったものである。 == 沿革 == === ラジオ === *1927年:ニューヨークのエージェントだったアーサー・ジャドソンによって設立された「United Independent Broadcasters」が現在のCBSの起源とされており同局は1月27日に初回ラジオ放送を開始した。放送局はすぐに出資者を募り、同社を救うため同年4月に投資したのがコロムビア・レコードをオーナーに持つ「Columbia Phonographic Manufacturing Company(コロムビア蓄音機社)」であった。結果的に「United〜」は「Columbia Phonoglaphic Broadcasting System(コロムビア蓄音機放送)」と名前を変え、同年9月18日に放送を開始。最初の本社はニューヨーク市の隣、ニュージャージー州ニューアーク市で、15支局だった。9月25日、十分なコマーシャル時間を確保できなかったためコロムビアはペンシルベニア州フィラデルフィアの大手タバコ製造メーカーの御曹司ウィリアム・サミュエル・ペイリー(:en:William_S._Paley)に同放送局を50万ドルで売却。ペイリーは名前を「Columbia Broadcasting System(コロムビア放送)」に変更、現在の名前が初めて使われた。また、ペイリーはラジオ放送のコマーシャルから得られる利益を確信しており、彼の地元フィラデルフィアのCBS系列WCAU放送(現在はNBC放送が所有)に彼のファミリーのタバコ会社「La Palina」の広告を載せようと身内を説得。その後、彼の会社はラジオのスポンサーになることが自社のタバコをベストセラーに導くと確信した。同年9月、39万ドルでニューヨーク市ブルックリン区にあった小さな放送局「Atlantic Broadcasting Company」を買収。WABCと名付けられ、同支局はCBSの代表的な支局となった。WABCは瞬く間に急成長しより周波数の強い860kHzでの放送を開始した(1946年にWCBSに名前を変更。周波数が880kHzになった)他の主な支局としては「KNX Los Angeles」「KCBS San Francisco」「WBBM Chicago」「WJSV Washington DC」「KMOX St Louis」「WCCO Minneapolis」などで、WCBSを含めこれらの支局は現在でも主要なCBSラジオ放送網となっている。 *1928年:パラマウント・ピクチャーズがCBSの投資者になった。一時期、一部支局では名前を「パラマウント・ラジオ」としたところもあったが、パラマウントにとってこれから、という時に1929年の世界大恐慌が訪れパラマウントは倒産寸前まで追い込まれ投資から退却せざるを得なかった。1932年には全ての支局がCBSに戻った。 *1930年:ニュースの提供者であったAP通信が、その業務を辞退したことによってCBSニュースは大きな打撃を受ける。ペイリーは独立した報道チームを作ることを決意し、副社長で前ニューヨークタイムズ記者のエド・クラウバーとニュース・ディレクターだったポール・ホワイトによって実行に移された。 *1935年:当時まだ入社したばかりだったエドワード・R・マローがドイツ軍のロンドン爆撃(ブリッツ)をレポートした「Director of Talks」はCBSの独立ニュースの先駆けとなり、マローはさらに記者団を作りCBSニュースを一気に成長させた。 *1938年:CBSはアメリカで3番目の規模を持つ放送局になり2位のNBCとライバル関係に居た(現在も然り)。当時NBCのオーナーであったデヴィッド・サーノフは技術面に明るく放送技術に力を注いでいた人物であったため製作のスタッフ達は当時の一流機材で仕事をすることができ、なおかつより鮮明な音声で放送をしていた。一方ペイリーは番組の内容に力を注ぐ人物で、ミュージカルやコメディショーで成長していった。CBSから出たスターにはビング・クロスビー、アル・ジョルソンなどがいる。そして、両放送局はエンターテイメントの中心地カリフォルニア州ロサンゼルス市・ハリウッドに同時に支局を開設。しかもNBCがサンセット・アンド・ヴァインのラジオシティに、CBSがコロムビア・スクエアに、わずか2ブロックしか離れていない場所だった。同年10月30日、オーソン・ウェルズが司会を務めていた「マーキュリー劇場」において、ニュース番組のような形で火星人によるアメリカ侵略のフィクションを放送し、人々がパニックを起こすという有名な事件が起こる(宇宙戦争 (ラジオ)を参照)。この事件でCBSは謝罪した。1994年になってから宇宙船が地球に墜落したというウソニュース番組「Without Warning」をテレビで制作したがCMを上手くいれるなどして過去の過ちは繰り返さぬように工夫した。 *1940年、長らくラジオはスポンサー優勢のメディアで、番組が圧迫されることもあった。ペイリーは通常30分や1時間という単位で売られていた広告枠を分単位に短縮。以前はスポンサーが番組の内容にまで色々口を出してくることが多かったが、時間を刻んだことによりスポンサーが関与できる部分が減り(力が減り)よりオリジナルに近い番組制作ができるようになった。 *1945年:上記のペイリーの政策によりCBSはジャック・ベニー、エドガー・バーゲンなどをNBCから引き抜き、放送は好調だった。 *1950年:時代は徐々にラジオからテレビに移り変わっていったが、50年代後半まではまだラジオが経営主体であった。しかし、テレビがより発達していくに連れラジオのスター達はテレビに移行し始めた。同年、Burns & Allenが移動。55年に常に高視聴率だったJack Benny Showのジャック・ベニーが、57年に「Edger Bergen's Sunday Night Show」が終了した。 *1956年:CBS放送においてラジオとテレビの形勢が逆転、テレビ時代の到来を告げた。 *1960年:11月25日をもって昼間のレギュラー番組が終了。 *1962年:9月30日、ゴールデンタイムのレギュラー番組が終了。 *1972年:トークショーのパイオニア、アーサー・ゴッドフリーが退職。その後のCBSラジオは1時間ごとの報道番組、ドキュメンタリーやスポーツの実況、夜は「Mystery Theater」など比較的古いスタイルの番組を現在も続けてはいるが、どうしてもニュースに関連するような番組が多くなってしまっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「CBS」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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