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カーステン・チャールズ・サバシア・ジュニア(Carsten Charles "CC" Sabathia Jr. , 1980年7月21日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ヴァレーホ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLB・ニューヨーク・ヤンキースに所属している。 身長6' 7"(約200.7cm)・体重290 lb(約131.5kg)の巨体から、速球とスライダーやチェンジアップなどの変化球を繰り出す、2000年代後半~2010年代前半のMLBを代表する先発投手のひとり。 かつては登録名をC.C.サバシア(C.C. Sabathia)としていたが、2008年シーズン途中の移籍を機に終止符をなくしたものに変更している〔ESPN.com news services, "Brewers let go of four prospects to acquire Sabathia ," ''ESPN.com'', July 8, 2008. 2009年9月2日閲覧。〕。 == 経歴 == === プロ入り前 === カリフォルニア州ヴァレーホで誕生。生まれたときから既に体重が8ポンド12オンス(約3969グラム)もあった〔Bob Nightengale, USA TODAY, "Family tragedy, robbery changed CC Sabathia's life ," ''USATODAY.com'', October 16, 2010. 2011年6月12日閲覧。〕。メア・アイランド海軍造船所などで働いていた父コーキーは息子をNFLオークランド・レイダーズやMLBオークランド・アスレチックスなど地元プロスポーツの試合に連れて行き、トラビス空軍基地で夜勤をしていた母マージーはソフトボール経験者として息子の投球練習につきあっていた〔S.L. Price, "Big Love "cc!" ," ''SI Vault'', April 6, 2009. 2011年6月12日閲覧。〕。野球以外にもアメリカンフットボールやバスケットボールなど様々なスポーツをプレイしていたが、他の子供よりも体が大きいことから相手に実年齢を疑われるようになり、母が試合の度に出生証明書の写しを持っていくようになる〔梅田香子 「スーパースター列伝/C.C.サバシア[インディアンス]」 『月刊メジャー・リーグ』2008年6月号、ベースボール・マガジン社、2008年、雑誌08625-6、45-49頁。〕。ただ、当時のサバシアは大きな体格とは裏腹に、相手に打たれてマウンド上で泣き出してしまったり、あるいは感情的になって怒りを露わにしたりすることが多々あった。そのため母はサバシアが精神的に強くなれるよう厳しく接した。サバシアが14歳のときには、彼が球審の判定に文句をつけたところ母が試合中にも関わらず息子を車に乗せて強制帰宅させたこともあり、当時を彼は「あれは恥ずかしかったけど、感情を常にコントロールすることの大切さを知るいい教訓になった」と振り返る〔Buster Olney, "LARGE AND IN CHARGE ," ''ESPN The Magazine'', March 25, 2008. 2011年6月12日閲覧。〕。 ヴァレーホ高校に進学後は野球にフットボール、バスケのそれぞれで頭角を現す。野球では早くからスカウトの間で「まるで大人のような子供が、時速90マイルの速球を投げている」と噂になっていた〔。最上級生のときには、投手として46.2投球回で6勝0敗・82奪三振・防御率0.77を記録したうえ、打撃ではチーム一の強打者だったので、登板のない日には一塁手や左翼手としても出場していた〔"JockBio: C.C. Sabathia Biography ," ''JockBio.com''. 2008年9月26日閲覧。〕。アメリカンフットボールではタイトエンドとしてオール・カンファレンスに選出され〔"Biography and Career Highlights ," ''The Official Site of The Cleveland Indians''. 2008年2月11日閲覧。〕、バスケットボールでは州を代表するパワーフォワードとして高い評価を受けていた〔。ハワイ大学がアメリカンフットボール奨学生のオファーをサバシアに出し、これに対してサバシアは野球も両立できるようにする条項を契約書に加えたうえでサインしたが、1998年のMLBドラフト1巡目(全体20位)でクリーブランド・インディアンスから指名されると、サバシアは進学を撤回してプロ野球選手の道を選んだ〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「CC・サバシア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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