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PFC CSKAモスクワ(, )は、ロシア・モスクワを本拠地とするサッカークラブチーム。 クラブ名のCSKA()はツェーエスカーと読み、地上軍(陸軍)中央スポーツクラブ () の頭文字をとったもの〔以前は、軍傘下のスポーツクラブであったが現在では軍との関係は無く独立したクラブとなっており名称だけ前身の名残が残っている。〕。日本語ではチェスカとも読まれる。ロシア国内有数の実績を残す強豪クラブである。CSKAモスクワはサッカー以外にもアイスホッケー、バスケットボール部門が世界的に有名である。 == 歴史 == 1911年に創立されたスキースポーツ愛好者協会 (OLLS) がクラブの前身。サッカー部門も同年に作られた。1923年に赤軍のスポーツクラブとして改組され、数度の名称変更を経て1960年に現在のCSKAの名に落ち着いた。 最初の黄金期は1940年代後半から1950年代初頭に訪れた。クラブはこの時期にリーグに5回、カップに4回優勝した。ソ連の国際スポーツへの復帰となった1952年のヘルシンキオリンピックでも代表チームの殆どはCDSAの選手により構成された。だがソ連は1回戦のユーゴスラビア戦で再試合の末に敗れた。当時すでにソ連と険悪な関係にあったユーゴに敗北した事実は政府上層部の不興を買い、CDSAは解散の憂き目にあった。クラブが復活したのは1954年。以後はタイトルに縁遠いクラブとなったが、ソ連最後のシーズンとなった1991年にはリーグとカップのダブルを達成している。 1967年には、来日したCSKAモスクワと日本代表が初めて試合をした。その結果、1試合目は2-2の引き分け、2試合目は0-2で日本代表が完敗した。 クラブは2000年代に入ってから再度の黄金期を迎えている。2003年からはシブネフチ、2006年からはそれに代わりVTB(ロシア対外貿易銀行)と巨額のスポンサー契約を結んだ。潤沢な資金をバックに積極的な選手補強を行っている。2004年にはUEFAカップに優勝して、ロシアのクラブとして初の欧州タイトルを獲得した。2009-2010シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではセビージャFCを撃破し、クラブ史上初のベスト8進出を果たした。 モスクワのサッカークラブでは珍しく、FCスパルタク・モスクワの本拠地ルジニキ・スタジアム(現在もUEFAチャンピオンズリーグなどで使用)、FCディナモ・モスクワの本拠地ディナモ・スタジアム、現在はモスクワ近郊のアレナ・ヒムキとスタジアムを転々としているが、現在新スタジアムである(CSKAモスクワ・スタジアム)が建設中である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「PFC CSKAモスクワ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 PFC CSKA Moscow 」があります。 スポンサード リンク
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