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DJケミカル : ウィキペディア日本語版
DJケミカル[でぃーじぇい けみかる]

DJケミカル(ディージェイ・ケミカル、本名:田野倉 智文(たのくら ともふみ)、1982年5月13日 - )は、日本の音楽グループFUNKY MONKEY BABYSの元DJである。東京都八王子市出身。血液型はB型。DJを名乗っていたが、基本的にDJプレイをしないジョッキーであった。
== 来歴 ==
2000年11月(平成12年)、モテるかもしれないと勘違いしてDJを始めるが、数年間挫折し、ターンテーブルなどはインテリア状態になってしまう。しかし先輩にディスを受けたことで本気になり、西東京を中心にDJとしてクラブプレイを展開していった。当時は本名からDJタンノと勝手に呼ばれていた。なお、元々はヴィジュアル系が好きだった。
2004年ファンキー加藤モン吉が結成したFUNKY MONKEY BABYSのライブDJとして、当時憧れの存在だったモン吉に誘われ加入する。最初はパシリとしてこき使われたり、2人が地元八王子から遠い場所でライブをする時は、旅費を節約する為に留守番をしていた。
当時からDJプレイの技術は高く、六本木などのクラブから指名もあった。しかし自分の意志でそれらを断り、同グループのメンバーで居続ける事を決意する。それにも関わらず、「ギャラが三等分になるのが嫌」との理由から、正式メンバーになる事をファンキー加藤になかなか許可してもらえなかった。1枚目のアルバム『ファンキーモンキーベイビーズ』のジャケットを飾った際もファンキー加藤から、「これ(同ジャケット写真のせい)で(同アルバムが)売れなかったらクビ」と言われていた。
2012年11月、実家(八王子市川口町の法蓮寺、宗旨は時宗)の住職になる準備をするため、FUNKY MONKEY BABYSからの脱退および音楽活動の引退をすることを発表。もともと音楽活動の傍ら副住職を務めていた。これに従ってFUNKY MONKEY BABYSも2013年6月東京ドーム公演をもって解散することとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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