|
阪神9000系電車(はんしん9000けいでんしゃ)は、阪神電気鉄道が所有する優等列車用の通勤形電車である。 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に伴う「赤胴車」と呼ばれる急行系車両の廃車補充分として、1996年に30両が川崎重工業兵庫工場において製造された。先に普通系車両の震災廃車補充用として登場した5500系に続く、急行系車両初のVVVFインバータ制御車であるとともに、「ジェットシルバー」の愛称を持つ5201形試作車5201 - 5202以来30数年ぶりとなるステンレス車体の車両である。 他の急行用車両とともに「赤胴車」という位置づけだが、本系列は近畿日本鉄道との相互直通運転に対応する車両であるため、阪神なんば線・近鉄難波線・近鉄奈良線では普通(各駅停車)としても運用されている。 本項では解説の便宜上、梅田・奈良側先頭車の車両番号 + F(Formation = 編成の略)を編成名として記述(例:9201以下6両編成 = 9201F)する。ただし近鉄が制定している本系列の電算記号(各社の編成番号に相当)は「HQ」である。 == 復興と補充 == 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)によって石屋川車庫と御影留置線が被災・崩壊したことにより、留置されていた急行系車両のうち96両が被災〔内訳は8000系10編成60両、2000系4編成24両、3000系2編成12両。この中には2000系のうち御影留置線から御影駅1番線に出庫して被災した2207Fも含む。〕し、阪神本線三宮駅 - 元町駅間を走行中に被災した2000系2201Fを含めると102両もの急行系車両が被災した。 これら多くの車両は復旧工事が施工されたが、車体や台枠の損傷がひどい車両を中心に被災車両の1/3近くに及ぶ33両の廃車が発生した。また、置き換えを予定していた5151形や5261形1次車を中心に被災した普通系車両とは異なり、急行系車両は当時最新鋭の8000系や更新直後の2000系の多くが被災したために、廃車予定の7801・7901形1次車をはじめ、1次車と同様に西大阪線(現・阪神なんば線)運用中心の7801・7901形2次車や7861・7961形といった車両を再度6両編成に組成の上、本線運用に充当せざるを得なくなった。 6月26日に阪神本線が全線復旧し、8月13日には神戸高速鉄道東西線新開地駅 - 高速長田駅間が復旧して、震災前の運転区間である梅田駅 - 山陽電気鉄道本線須磨浦公園駅間の全区間での運転を再開した。このころまでにはほとんどの被災車両が復旧していたが、廃車による車両不足は免れず、朝ラッシュ時の区間特急を減便するなどして対応していた。 全線復旧後、1996年3月までに崩壊した石屋川車庫と御影留置線を復旧させて、震災前の水準に完全復旧させることとし、車両面においても減少分を補充する新車が製造されることとなって、普通系車両の代替新車として震災前から製造が計画されていた5500系が前倒しで投入された。急行系車両については、8000系のうち被災車両の編成組み替え後も6両編成を組成できない編成については補充用として阪神系列の武庫川車両工業で8000系を3両新造して対応したが、それでも震災前に比べると6両編成×5本=30両が不足することになった〔内訳は8000系2編成分、2000系2編成分、3000系1編成が被災廃車により減少した。〕。このため急行系車両についても代替新車を製造することになったが、その際、武庫川車両工業では5500系と8000系の新造に加えて一挙に30両もの車両を短期間に製造することができないことから、川崎重工業兵庫工場に発注することとなった。当時の川崎重工業兵庫工場において、半年足らずの期間で30両もの車両を新造できる余裕があったのはステンレス車体の製造ラインであったことから、工期を短縮するために、東日本旅客鉄道(JR東日本)209系・701系・E217系・E501系・E127系や都営地下鉄三田線向け6300形などと同一構造の2シート工法軽量ステンレス車体を採用した。 なお、震災で被災した車両の多くは1994年度末(1995年3月31日まで)に廃車されたが、2000系2201Fをはじめ2000・8000系十数両の廃車は、被災車両のほとんどが復旧した同年7月6日であった。 このことから、阪神が多くの被災車両をできるだけ可能な限り早く復旧させようとした様子が窺える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「阪神9000系電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|