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H・G・アペンゼラー : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・アペンゼラー
ヘンリー・ジェラード・アペンゼラー1858年2月6日 - 1902年6月11日)は、朝鮮で活動したアメリカ合衆国出身のプロテスタントメソジスト宣教師''、1858年2月6日 - 1902年6月11日)は、朝鮮で活動したアメリカ合衆国出身のプロテスタントメソジスト宣教師
== 生涯 ==
1858年、ペンシルベニア州サウダートンに生まれる。1882年、フランクリン・アンド・マーシャル大学を卒業後、ドリュー神学学校に入り、神学を修めた。1885年2月6日、アペンゼラーはメソジスト監督教会牧師となり、朝鮮への宣教師に任命された。
アペンゼラーが妻のエラ・J・ドッジ()、長老派宣教師のH・G・アンダーウッドとともに仁川に到着したのは、1885年4月5日のことである。アペンゼラーは、仁川の内里教会をはじめ多くの教会を設立し、国中を旅して福音を説いた。アペンゼラーが設立した培材学堂(培材大学校の前身)は、朝鮮初の近代教育機関である。また、ほかの宣教師たちとともに、聖書の朝鮮語訳を手がけた。
1902年、聖書翻訳の会合のため、全羅南道木浦を訪れていたアペンゼラーは、溺れていた朝鮮人少女を救助しようとして海に飛び込み、溺死した(44歳)。のちにソウル郊外楊花津(現・ソウル特別市麻浦区)の外国人墓地に墓が建てられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・アペンゼラー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Henry Appenzeller 」があります。



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