翻訳と辞書 |
H部隊[えいちぶたい]
H部隊(Hぶたい 英:Force H)は、イギリス海軍が第二次世界大戦中に編成した任務部隊の一つ。ただし、H部隊それ自体が「任務部隊(Task Force)」と呼称されていたわけではない。1940年にイタリアが枢軸国側として参戦し、地中海の中央部を抑えられてしまった事により、地中海西部の海軍力の空白を埋める為に編成された。地中海艦隊の主力はエジプトのアレクサンドリアにあり、終戦まで地中海東部の制海権を確保している。イタリアの降伏まで地中海西部をH部隊が、東部を地中海艦隊が活動する事になる。 H部隊はイギリス海軍の指揮系統において一風変わった位置にあった。通常のイギリス海軍部隊のあり方から考えると、ジブラルタルを基地とするH部隊は、その地域を管轄するジブラルタルの司令(北大西洋戦域司令官、Flag Officer North Atlantic)を間に挟んで、第一海軍卿の指揮下におかれることとなる。しかし実際のところH部隊は間に誰も通さず、第一海軍卿の直接指揮下におかれていた。 == カタパルト作戦 ==
H部隊の最初の作戦は、H部隊が編成された理由と深く関わるものであった。イギリス首脳部は、地中海に残存しているフランス艦隊は地中海におけるイギリスの権益にとって脅威であるとみなしていた。独仏の休戦条約上では、フランスは自らの艦艇を引き続き保有することになっていたが、もしヴィシー政権がフランス艦艇をドイツに引き渡せば、地中海の戦力バランスはイギリスにとって決定的に不利になる。結果として、H部隊は、カタパルト作戦を実行するよう命令を受けることとなった。 残存フランス海軍部隊のうち、もっとも強力な部隊はアルジェリアのメルセルケビール港に在泊していた。この部隊は、フランス艦隊のなかでもっとも新しくかつ強力な艦艇である高速戦艦ストラスブール、ダンケルク2隻と、旧式ながらよく整備された超弩級戦艦2隻、およびその護衛に当たる艦艇からなっていた。H部隊はアルジェリア沿岸に進出し、フランス艦隊司令官のもとへ交渉団を送った。交渉団はフランス艦隊に対し、中立国で抑留されるか、イギリスとともにドイツと戦うか、このまま泊地で自沈するか、など様々な提案を行った。しかし、交渉に当たったフランス軍指揮官は上層部に対して自沈案のみを報告したため、イギリスと交戦するように命令を受けることとなった。フランス側は交渉役のホランド大佐に対し、「フランス艦艇がドイツ・イタリアの手に渡る事が無いことを保障すること、さらにフランス海軍は不当な攻撃には武力を持って反撃をする用意があること」を申し入れ、明確な回答を避けた。これに対し、イギリス側はフランス側の明確な約束のないのを口実として、12時30分に空母アーク・ロイヤルのソードフィッシュ艦上雷撃機による湾口への磁気機雷の散布を実行し、フランス艦隊が退避できないようにした。交渉決裂の原因はフランス軍の指揮官の反英感情と共にH部隊の司令官の好交戦欲にあるのではないかと欧州では考えられることが多い。 戦闘の結果、残存のストラスブールと駆逐艦4隻が地中海の軍港ツーロンに脱出したが、そのために多くの犠牲を払うこととなった。イギリス艦隊の砲火によって旧式戦艦ブルターニュは爆沈、1,000人以上の将兵が戦死した。旧式戦艦プロヴァンスは大破、ダンケルクも被弾したが、後に修理を受けてツーロンに移動したために結局無力化出来た戦艦は1隻のみであった上に、フランス国民の反英感情を煽り、ヴィシー政権が枢軸陣営に入って連合軍の脅威となりかねない危険性を残しただけであった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「H部隊」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|