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IBMのディスク記憶装置(アイビーエムのディスクきおくそうち)では、IBMが開発したディスク記憶装置の歴史について解説する。 1950年代にIBMによって開拓されたディスク記憶装置の発明は、コンピュータ革命の重要な要素であった。ハードディスクドライブの基本的な機械構造はIBM 1301以来変わっていない。ディスクドライブの性能および特性は現在も同じ規格に基づいて測定されている。 == IBM 350 == IBM 350は、IBM RAMAC 305の一部であり、そのコンピュータはディスク記憶技術を世界にもたらした。IBMは1956年9月13日に、IBM 350を、RAMAC 305およびRAM 650コンピュータシステムの一部として公式に発表した。RAMACとはRandom Access Method of Accounting and Controlの略である。 その設計はビジネスにおけるリアルタイム計算の必要性を意図していた〔IBM RAMAC promotional film 〕。IBM 350は500万字の7ビットでパリティビットを加えた6ビット(文字約4.4MB)を保存し、〔IBM 350 disk storage unit 〕50枚の24インチ(直径610mm)の磁気ディスクを備え、ディスク表面にはそれぞれ100のトラックがあった。ディスクは1200 RPMで回転し、データ転送速度は8,800ワード/秒だった。2個の独立しているアクセスアームが、ディスクを選択するためにサーボ制御によって昇降する機構を持っていた。3番目のアクセスアームはオプションであった。 いくつかの改善されたモデルが1950年代に追加された。 IBM 350を搭載したIBM 305 RAMACシステムは月額3,200ドルでリースされた。IBM 350は1969年には公式に販売停止となった。 IBM 350のキャビネット(筐体)は、長さ60インチ(152cm)、高さ68インチ(172cm)、奥行き29インチ(74cm)だった。 IBMは、その製品がすべて標準29.5インチ(75cm)の戸口を通り抜けなければならないという厳しいルールを持っていた。IBM 350の磁気ディスク(プラッタ)は水平にマウントされたので、このルールにより搭載されるディスクの最大直径が決定された。 カリー・マンス(IBMのディスク部門を買収した日立グローバルストレージテクノロジーズの副社長)は、ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビュー〔Lee Gomes, "Talking Tech" ''The Wall Street Journal'', August 22, 2006 〕において、「RAMACユニットは1トン以上の重量があり、フォークリフトで動かされなければならなく、大きな貨物機によって運ばれた。ドライブの記憶容量は5MBを越えて増強されたかもしれないが、IBMの営業部はより大きなキャパシティーのドライブを搭載した製品に反対した。」と述べた。 2002年にサンタクララ大学と共同でIBM 350 RAMACの復元を開始し、2005年には、RAMAC復元プロジェクトがコンピューター歴史博物館に移転された。 2006年現在、カリフォルニア州マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館に、RAMACディスクドライブ装置が保管されている(オリジナルの制御回路は含まれていない)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「IBMのディスク記憶装置(アイビーエムのディスクきおくそうち)では、IBMが開発したディスク記憶装置の歴史について解説する。1950年代にIBMによって開拓されたディスク記憶装置の発明は、コンピュータ革命の重要な要素であった。ハードディスクドライブの基本的な機械構造はIBM 1301以来変わっていない。ディスクドライブの性能および特性は現在も同じ規格に基づいて測定されている。== IBM 350 ==IBM 350は、IBM RAMAC 305の一部であり、そのコンピュータはディスク記憶技術を世界にもたらした。IBMは1956年9月13日に、IBM 350を、RAMAC 305およびRAM 650コンピュータシステムの一部として公式に発表した。RAMACとはRandom Access Method of Accounting and Controlの略である。その設計はビジネスにおけるリアルタイム計算の必要性を意図していたIBM RAMAC promotional film 。IBM 350は500万字の7ビットでパリティビットを加えた6ビット(文字約4.4MB)を保存し、IBM 350 disk storage unit 50枚の24インチ(直径610mm)の磁気ディスクを備え、ディスク表面にはそれぞれ100のトラックがあった。ディスクは1200 RPMで回転し、データ転送速度は8,800ワード/秒だった。2個の独立しているアクセスアームが、ディスクを選択するためにサーボ制御によって昇降する機構を持っていた。3番目のアクセスアームはオプションであった。いくつかの改善されたモデルが1950年代に追加された。 IBM 350を搭載したIBM 305 RAMACシステムは月額3,200ドルでリースされた。IBM 350は1969年には公式に販売停止となった。IBM 350のキャビネット(筐体)は、長さ60インチ(152cm)、高さ68インチ(172cm)、奥行き29インチ(74cm)だった。 IBMは、その製品がすべて標準29.5インチ(75cm)の戸口を通り抜けなければならないという厳しいルールを持っていた。IBM 350の磁気ディスク(プラッタ)は水平にマウントされたので、このルールにより搭載されるディスクの最大直径が決定された。カリー・マンス(IBMのディスク部門を買収した日立グローバルストレージテクノロジーズの副社長)は、ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューLee Gomes, "Talking Tech" ''The Wall Street Journal'', August 22, 2006 において、「RAMACユニットは1トン以上の重量があり、フォークリフトで動かされなければならなく、大きな貨物機によって運ばれた。ドライブの記憶容量は5MBを越えて増強されたかもしれないが、IBMの営業部はより大きなキャパシティーのドライブを搭載した製品に反対した。」と述べた。2002年にサンタクララ大学と共同でIBM 350 RAMACの復元を開始し、2005年には、RAMAC復元プロジェクトがコンピューター歴史博物館に移転された。2006年現在、カリフォルニア州マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館に、RAMACディスクドライブ装置が保管されている(オリジナルの制御回路は含まれていない)。」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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