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トロッコファミリー号(トロッコファミリーごう)は、1987年(昭和62年)から2006年(平成18年)までの毎年春から秋にかけて飯田線の豊橋 - 中部天竜間で運転されていた東海旅客鉄道(JR東海)のトロッコ列車である。 1985年(昭和60年)に越美南線で運転が開始された「清流ながら号」が翌年の長良川鉄道転換によって国鉄車両での運転できなくなったことから、この列車のために用意されていた車両を風光明媚な飯田線南部に転用し運転を開始したのが本列車である。 == 運転 == 列車番号が8000番台の予定臨時列車として設定。全盛期は3月から11月にかけての土日と祝日、春休みや夏休み期間は連日運転され、年間100日ほど運転されていた。しかし2001年以降運転日は年々削減され、年間50日ほどの運転となっていた。 全席指定の普通列車として設定され、指定券1枚で控車(客車)とトロッコ車両のどちらにも座れるシステムになっていた。運転開始当初指定券の発売は飯田線およびJR東海の静岡地区の主な駅、東海道新幹線各駅のJR東海の窓口に限られたが、1989年からは全国で発売されるようになった。 佐久間ダムや1991年に中部天竜駅構内に開設された佐久間レールパークや観光に便利なダイヤが設定されていた。トロッコ車両は豊川 - 中部天竜間で乗車可能であったが、豊橋 - 豊川間は複線区間であるため、列車のすれ違いの際危険であることからトロッコ車両には立ち入ることができないようになっていた。 沿線の自然を体感するための列車であることから、普通列車よりも所要時間のかかる低速のダイヤが設定され景観の素晴らしい宇連川(板敷川)に沿う湯谷温泉 - 三河槙原間では特に低速で運転された。 列車の営業区間は中部天竜までであったが、車両はその先の水窪まで回送のうえで折り返し作業を行っていたため、城西 - 向市場間の通称「渡らずの鉄橋」を行くシーンなどもファンに提供した。しかし水窪駅の業務委託化のため2001年から折り返し作業を終着駅の中部天竜駅で行うようになり、この区間の回送列車も廃止となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「トロッコファミリー号」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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