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ジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダー(Joseph Carl Robnett Licklider、1915年3月11日 - 1990年6月26日)は情報工学とコンピュータの歴史上重要な役割を果たした人物〔 ローバート・テイラーは「我々がゼロックスのPARCで成し遂げた業績など、コンピュータ技術における著しい進歩の多くは、リックのビジョンを単に外挿したものに過ぎない。つまり、それらは真の新規なビジョンではなかった。それら全ての父は実際には彼(リック)である」と記している。〕。J・C・R・リックライダーまたは「リック」と呼ばれる。 現代のコンピュータネットワークについてのコンセプトを作り上げたという点でも重要な人物であり、その分野の開発での彼の役割の重要性が広く認められるようになってきた。単なる計算の道具ではない汎用的な道具としてのコンピュータという観点での開発にも深く関わっており、今日のインターネットに繋がる考察でも有名である。彼は通信におけるコンピュータの重要性と民主主義における大衆への情報伝達の重要性を理解していた。 == 経歴 == ミズーリ州セントルイスに生まれた〔Internet Pioneers: J.C.R. Licklider , retrieved online: 2009-05-19〕。保険外交員の父のもとに生まれ、一人っ子だった。幼いころから工学の才能を見せ、模型飛行機をよく組み立てていた。生涯、自動車いじりを趣味としていた。 セントルイスのワシントン大学で学び、1937年に物理学・数学・心理学で学士号を取得し、1938年に心理学で修士号を取得した。1942年、ロチェスター大学で音響心理学の博士号を得て、1943年から1950年までハーバード大学音響心理学研究所で働いた。 情報技術に興味を持つようになり、1950年にマサチューセッツ工科大学 (MIT) に準教授として移り、そこでリンカーン研究所設立に関与し、工学部の学生向けの心理学プログラムの確立に尽力した。 1957年、Society of Engineering Psychologists から Franklin V. Taylor Award を授与された。1958年、アメリカ音響学会会長に選出された。1990年には Common Wealth Award for Distinguished Service を受賞〔JCR Licklider (1915-1990) 〕。 1962年10月、リックライダーはアメリカ国防総省国防高等研究計画局 (ARPA)の研究部門IPTO(Information Processing Techniques Office)の部長に任命された。 1963年、彼はARPAの指揮・指令系統の行動科学研究機関の指揮を任されるようになった。同年4月、彼が同僚たちに送ったメモは、当時のソフトウェアでコンピュータのタイムシェアリング・ネットワークを構築しようというかなり時代に先行した挑戦を記していた〔Licklider, J.C.L. "Memorandum For Members and Affiliates of the Intergalactic Computer Network." Washington, DC: April 23, 1963. Accessed July 30, 2009〕。最終的にこの彼のビジョンからARPANETが生まれ、今日のインターネットへと発展していった。 1968年、J・C・R・リックライダーはMITで Project MAC の責任者となり、電気工学科の教授となった。Project MAC では世界初のタイムシェアリングシステムCTSSを生み出し、世界初のオンラインシステムの1つであるMultics(プロジェクト開始は1964年)を開発した。Multicsがきっかけとなって、1970年にベル研究所のケン・トンプソンとデニス・リッチーがUNIXオペレーティングシステムを開発することになった。 1985年に引退し、名誉教授となる。1990年、マサチューセッツ州アーリントンで死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「J・C・R・リックライダー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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