翻訳と辞書
Words near each other
・ J・J・ファーマニアック
・ J・J・フーバー
・ J・J・プッツ
・ J・J・レディック
・ J・J・レート
・ J・K・シモンズ
・ J・K・フェアバンク
・ J・K・ローリング
・ J・M・G・ル・クレジオ
・ J・M・クッツェー
J・M・ケインズ
・ J・M・シング
・ J・M・ディクソン
・ J・M・バリー
・ J・N・ヘンダースン
・ J・N・ヘンダーソン
・ J・Oスタジオ
・ J・POP Magic
・ J・P・アレンシビア
・ J・P・ハウエル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

J・M・ケインズ : ウィキペディア日本語版
ジョン・メイナード・ケインズ

初代ケインズ男爵、ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1st Baron Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)は、イギリス経済学者官僚貴族イングランドケンブリッジ出身。20世紀における最重要人物の一人であり、経済学者の代表的存在である。有効需要〔着想自体はミハウ・カレツキが先であるとされる。〕に基いてケインズサーカスを率いてマクロ経済学を確立させた。また、戦後の外為体制をめぐりハリー・ホワイトと案を出し合った。
経済学の大家アルフレッド・マーシャルの弟子であり、論敵アーサー・セシル・ピグーとは兄弟弟子であった。また、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインブルームズベリー・グループと交流があったことが有名である。
== 経歴 ==

ケインズは、ケンブリッジ大学の経済学者であるジョン・ネヴィル・ケインズと母フローレンスとの間に1883年に生まれた〔橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、132頁。〕。
ケインズは、名門パブリック・スクールであるイートン・カレッジを経て、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジに入学した。ケンブリッジ大学では、数学を専攻した〔橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、133頁。〕。学生時代は、政治にも関心を持ち、さまざまな活動を行い、学内のサークル「ザ・ソサエティ」では代表を務めた〔。
ケインズは、ケンブリッジ大学卒業後、公務員試験を通過して、インド省に就職した〔橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、134頁。〕。その後、二年でインド省を退官し、キングス・カレッジの研究員として学者を志した〔。その後、大蔵省に移って、役人生活を送る〔。その後、大蔵省を辞任して、再びケンブリッジ大学に戻る〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・メイナード・ケインズ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 John Maynard Keynes 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.