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レーザーディスク(LaserDisc, LD)は、直径30cmのディスクに両面で最大2時間の映像を記録できる光ディスク規格である。 本来、LaserDisc、レーザーディスクという名称は日本国内ではパイオニアの登録商標だった〔「LaserDisc」は1980年7月8日出願、1983年11月25日登録(第1637043号)。「レーザーディスク」は1982年4月20日出願、1990年11月30日登録(第2284421号)。〕。規格名としてはレーザービジョン(LaserVision, LV)という名称が用いられたが、1989年(平成元年)に商標を無償開放し、事実上一般名詞化していたレーザーディスクという名称を他メーカーも使用できるようになった。 発売当時は「絵の出るレコード」というキャッチコピーが使われていた。 == 歴史 == === 誕生 === 1972年(昭和47年)9月にオランダのフィリップスが光学式ビデオディスク規格としてVLP(Video Long Play)方式、同年12月にアメリカ合衆国のMCAがディスコビジョン(Disco Vision)方式を発表。1974年(昭和49年)9月に両社の規格が統一され「フィリップス/MCA方式」として発表された。1978年(昭和53年)12月にアメリカで製品化され、フィリップスの子会社マグナボックスが世界初となる家庭用LDプレーヤー「マグナビジョン」VH-8000を発売した。パイオニアとMCAの合弁会社ユニバーサルパイオニア(UPC)が、アメリカ市場で1979年(昭和54年)2月に業務用LDプレーヤーPR-7820、1980年(昭和55年)6月に家庭用LDプレーヤーVP-1000を発売した。日本ではパイオニアが製品化し、1981年(昭和56年)10月に第1号機LD-1000を発売した。日本市場では当初はパイオニアのみが製品を販売し、日本ビクター(後のJVCケンウッド)の開発したVHD陣営と販売競争を繰り広げた。ビクターはビデオデッキ市場でVHS方式を広めた実績があり、採用メーカー数では13対1と圧倒的に不利だった。 しかし、映像ディスクはビデオデッキと違い再生専用で録画ができないことから、当初はビデオデッキよりも高画質を求めるマニア向けの規格となった。そのため、水平解像度が240本程度だったVHDに対し、レーザーディスクは400本以上と画質面のアドバンテージがあったことに加え、ピックアップがレーザーによる非接触式のため、プレーヤーで再生した事が原因のディスクの劣化が無いことから、レーザーディスクの方が圧倒的に優勢だった。 さらに、コンパクトディスク(CD)とのコンパチブル再生機の発売、レーザーカラオケのヒットによって、一般層にも普及した事から、結果的に規格争いに勝利した。 VHD陣営のメーカーも参加して開発した音楽CDの量産技術が、同じ光ディスク方式であるLDの技術とコストの問題を解決させ、LDを勝利に導いたと言われる〔神尾健三『画の出るレコードを開発せよ!』 草思社、1995年、p208-p209〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レーザーディスク」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 LaserDisc 」があります。 スポンサード リンク
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