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M資金 : ウィキペディア日本語版
M資金[えむしきん]
M資金(エムしきん)とは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金である。Mは、GHQ経済科学局〔Economic and Scientific Section、略称 ESS
:経済科学局は、連合国最高司令官SCAPへの助言を任務として、1945年9月に設置された。アメリカ対日協議会のもとになったニューズウィークに民主化政策を批判された。〕の第2代局長であったウィリアム・フレデリック・マーカット(William Frederick Murcutt)少佐(後に少将)の頭文字とするのが定説となっている。その他にマッカーサーMSA協定フリーメーソン () などの頭文字とする説などがある。
M資金の存在が公的に確認された事は一度もない。しかし、M資金をふくむ様々な秘密資金を詐欺で語る手口が存在し、著名な企業や実業家がこの詐欺に遭い、自殺者まで出したことで一般人の間でも有名になった〔Japan Policy Research Institute "JPRI Working Paper No. 11: The 1955 System and the American Connection: A Bibliographic Introduction " 1995年〕。過去にはその被害を企業の不祥事としてフィクサーがぶち上げるケースもあった〔1969年、元自由党代議士鈴木明良が、全日空社長大庭哲夫を訪ねた。彼は自民党の現職議員、大石武一原田憲の紹介状と共に「大蔵省特殊資金運用委員会」という名刺を差し出した。それからM資金の所在を語った。
:占領軍総司令官マッカーサーは帰国の際、大物政治家吉田茂に「M資金」を託した。吉田の死後「M資金」は日銀で眠っていたという。そして鈴木が言うには、同委員会が然るべき融資先を探した所、全日空が選ばれたというのだ。
::融資額は3000億円、返済期限は30年、年利4.5%という破格の条件である。大庭は乗せられてしまい、融資申込書や念書を何通も振り出してしまった。
それら書類の一部は児玉誉士夫の手に渡り、児玉はこれをネタに翌年の株主総会で大庭を失脚させた。若狭が社長に昇進し、トライスター導入が決定されるが、この過程で児玉や田中角栄首相に巨額の賄賂が渡されたことが暴かれ、ロッキード事件へとつながっていく。
:高野孟『M資金―知られざる地下金融の世界』(1980年3月、日本経済新聞社 ) 4章 全日空事件, ASIN: B000J8ACKG〕〔1975年春、東急電鉄常務酒井幸一を名義人とする額面2兆円の融資申込書のコピーが都内の金融ブローカー筋に流れた。申込日付は同年2月18日、返済期間30年、年利4分5厘以下と明記。酒井常務の実印と印鑑証明、社印が押されていた。2ヶ月ほど経って、今度は東急副社長田中勇を名義人とする1兆円融資申込書のコピーが再び都内に出回った。条件は同様であったが、酒井は同年5月の取締役会で退任させられたのに、田中は不問にされた。
:一連の融資申込書をいち早く報じた業界紙は児玉誉士夫のブラック・ジャーナリズムであったことがロッキード事件の捜査で明らかになった。コピーが持ち込まれる過程には暴力団も介在したという。当時、東急の取締役会には小佐野賢治がいた。
竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 102-103〕。逆に報道により実態をうやむやにするケースもあった〔1970年9月13日の毎日新聞は、社会面の大半を費やして、「”5000億円融資”デッチ上げ、旧富士鉄へあっせんしたと大サギ劇、専務の念書など偽造」という見出しの記事を書いた。次の段は要約である。
:合併前の富士製鉄を舞台に、架空の「5000億円特別融資」話をデッチ上げ、「そのあっせん料として近く125億円のリベートがはいる」ともちかけ、一流企業の社員から2200万円をだましとるという事件があり、警視庁は一味の一人を8月下旬に逮捕するとともに、中心人物とされる山崎勇を12日全国指名手配した。彼の言い分によれば、去年1月、フリーメーソンの極東平和基金から興銀を経由、富士製鉄に5000億円の融資をあっせんした。証拠というのが、富士製鉄の藤木竹雄専務の署名・捺印入りの融資依頼書と念書、交渉経過を記した64ページの記録など。次の段は融資依頼書記載内容。念書は6通。藤木は融資申込と念書発行を否定。去年5月16日に永野社長、大蔵省の村井七郎国際金融局長、青山俊理財局長、中山素平などの興銀関係者が、融資は山崎らのあっせんでなく、興銀からの正規の融資だったことに手続きを変更、山崎にはリベートを払わないことになった。
::1969年1月8日付。金額5000億円。期間10年切り替え30年。金利年3分5厘。取引銀行は日本興業銀行。依頼者は富士製鉄代表取締役・長野重雄、代行者は同専務・藤木竹雄
:::また、念書6通のうち2通は山崎宛。残り4通は宛名がなかった。
正論新聞』の三田一夫は、記事による山崎逮捕前の詐欺断定を”火消し”だという。三田の見方では、実働部隊は山崎勇の他、 禰宜田貞雄、野崎正良、猪島リツら。
:・三田をインタビューした高野孟は禰宜田が潜伏する名古屋の病院を訪ねた。禰宜田は高野に、富士製鉄が1969日1月8日付融資依頼書を追認する旨が明記され、永野と藤木の印が押された念書を見せたという。
:・猪島リツは、自らを会長に、また山崎を事務局長にして、世界和平連合会という組織を運営していた。
高野孟『M資金―知られざる地下金融の世界』(1980年3月、日本経済新聞社 ) 3章 富士製鉄事件ならび P 149, P 196-197, ASIN: B000J8ACKG〕。
== 不透明な資金 ==
第二次世界大戦終戦時の混乱期に、大量の貴金属ダイヤモンドなどの宝石類を含む軍需物資が、保管されていた日銀地下金庫から勝手に流用されていた隠退蔵物資事件や、件の日銀地下金庫にGHQのマーカット少佐指揮の部隊が調査・押収に訪れた際に、彼らによる隠匿があったとされた事件などが発生した〔当時、日銀の本支店で保管されていた貴金属の多くがGHQ経済科学局の管理下にあった。同局において、日銀金庫管理担当官だったエドワード・マレー(Edward J.Murray)が帰国後、約500個のダイヤを不正に持ち出した容疑で米国当局に逮捕され、禁固10年の実刑判決を受けた。また、初代局長レイモンド・C・クレーマーをはじめ、初期の同局将校ら十数人が後に米国で汚職や横領などの罪で検挙・更迭された。
:一橋文哉 『マネーの闇』 角川書店 2013年 pp.33-34〕。
GHQの管理下に置かれた押収資産は、戦後復興・賠償にほぼ費やされたとされるが〔貴金属類の返還を受けた日本金属の清算による残余財産5億6580万円を基金として、(財)日本鉱業振興会が1969年7月1日に設立されている。会長は佐々木陽信日本鉱業会長。東京都千代田区内幸町1-3-6
:『日本の民間財団と企業寄付-国際交流・協力活動の概況』日本国際交流センター 1985年12月 p.119.〕、資金の流れには不透明な部分があり、これが“M資金”に関する噂の根拠となった。他には、終戦直前に旧日本軍が東京湾越中島海底に隠匿していた、大量の貴金属地金〔後述のX資金。内訳は金1,200本・プラチナ300本・5000トン〕が1946年4月6日に米軍によって発見された事件や、終戦直後に各種の軍需物資が隠匿され、闇市を通じて流出していた時期の鮮明な記憶が噂の真実味を醸し出していた。
また、戦後のGHQ統治下で構築された、いくつかの秘密資金が組み合わされたものが現在の“M資金”の実態であると主張する意見〔高野孟『M資金―知られざる地下金融の世界』(1980年3月、日本経済新聞社 ), ASIN: B000J8ACKG〕もある。それによれば、M資金〔マーカット少佐に管理され、旧日本軍が占領地から奪った工業用ダイヤモンド、プラチナ、金、銀などの物資をGHQが接収して売却した資金〕・四谷資金チャールズ・ウィロビーによって闇市の活動から集められ、反共計画に使われた資金〕・キーナン資金ジョセフ・キーナンの名にちなんだ没収財産を元にした資金〕・その他財閥解体後の株式売却益、米国からの援助物資(ララ物資ケア物資小林中頭取の日本開発銀行で管理を委任された「米国援助物資見返り資金特別勘定」)および石油などの認可輸入品の売却益(後述の蓄積円)といった資金〕の、GHQの活動を通じて形成された資金を統合したものが“M資金”であり、その運用は日本政府の一部の人々によって行われ、幾多の国家的転機に際して利用されてきたという。流れの不透明な資金には、他にG資金ガリオア資金エロア資金〕とX資金〔旧陸軍がオランダ領インドネシアで押収した銀塊31トンと、旧軍事費特別会計から陸軍に売却された銀塊350キロ。前者は昭和24年にオランダに返還。後者は昭和34年公布の接収貴金属処理法によって国の一般会計に組み入れられた。
:引揚げに立ち会った日本人は、貴金属の内訳を当時の価格で1兆4400万円相当のプラチナと純金塊だったと主張、発見者の当然の権利として2割の褒賞金を請求した。国会にも褒賞金の請求書が送られ、発見者は訴訟を起こしたが昭和37年に最高裁で敗訴している。発見者の請求相続人は、次のように主張している。
::「純金分は日本銀行特別会計の中でプールして自民党の運営費に使われている。プラチナ分のみがオランダへ返還されたにすぎない」〕がある〔竹森久朝 『見えざる政府-児玉誉士夫とその黒の人脈』 白石書店 1976年 P 98-101〕。さらには蓄積円〔戦後直後、日本へ進出した映画資本と石油メジャーは膨大な収益を上げた。しかし、日本には手持ちのドルがなく、アメリカ本国への送金は制限されていた。そこで収益の大半は円のまま非居住者預金勘定として国内に蓄積された。1956年、公式の数字によれば映画だけで40億円あったという。
:高野孟『M資金―知られざる地下金融の世界』(1980年3月、日本経済新聞社 ) P 51, 54
日本の外貨準備高を参考までに記す。指数関数的に増加している。凡例:西暦下二桁-億ドル
:82-240, 83-251, 84-265, 85-279, 86-584, 87-849, 88-993, 89-735, 90-699, 91-682, 92-700, 93-1017, 94-1415, 95-2040, 96-2194, 97-2240, 98-2225, 99-3055, 00-3615, 01-4015, 02-4962, 03-8266
::伊藤元重 『ゼミナール 国際経済入門』 日本経済新聞出版社 2012年 P 102
ここへ、関東大震災以来今日まで続くJPモルガンの日本金融支配と、プラザ合意に象徴される円高ドル安外交などを考え併せると、増加の一途をたどる外貨準備は蓄積円と交換されずにいるものと推測される。〕というものまで存在した。1980年には笹川良一が資金提供して日本海洋開発が日本海で旧ロシアの軍艦アドミラル・ナヒモフの調査を実施し、金属のインゴットが引き上げられたと報じられたことがあった〔参考外部リンク:参議院会議録情報昭和55年10月28日 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「M資金」の詳細全文を読む



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