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NHK杯全日本6人制バレーボール選抜男女優勝大会(エヌエイチケイはい ぜんにほんろくにんせいバレーボール せんばつだんじょゆうしょうたいかい)は、1962年から1977年まで日本国内で毎年6月頃に開催されていたバレーボール大会である(1967年は未開催)。主催は日本バレーボール協会、後援はNHK。本項では1979年から開催されたNHK杯国際バレーボール大会についても触れる。 == 歴史 == 1961年9月、母校を訪れた前田豊(当時日本バレーボール協会理事長)は旧友であるNHK運動部副部長に偶然出会い、四方山話に花を咲かせた〔日本バレーボール協会機関誌『Volleyball』1969年8月号 21ページ〕。当時のバレーボール大会は、新聞社の後援ばかりでテレビ局の後援は皆無であったが、前田は影響力が格段に異なるテレビ放映を模索しており、海外チームも含め毎年様々な出場チームによる最高の大会を提供するとしてNHKに協力を求めた〔。当時スポーツのNHK杯はアイスホッケー、屋内陸上、ホッケーのみで、新たなコンテンツを求めていたNHKの思惑と合致するところとなり、話がとんとん拍子に進んだ〔。 こうして1962年6月23日、アジア大会・世界選手権代表選考会を兼ねて第1回NHK杯全日本6人制バレーボール選抜男女優勝大会(男子)が、早稲田大学記念会堂にて行われ〔日本バレーボール協会機関誌『Volleyball』1962年8月号 26ページ〕、翌週には女子大会が同所で開催された〔。男女各々2日間で計8試合がNHKテレビで全国放送されたが、試合後に磯辺サタ(当時は四天王寺高校在学中)にファンレターが押し寄せるなど、6人制バレーボールのPRに大いに役立ったと前田は自賛した〔日本バレーボール協会機関誌『Volleyball』1962年9月号 15ページ〕。 1967年は次節に述べる絶縁問題が持ち上がり、大会は未開催に終わった。 1977年の第15回大会をもって、全日本バレーボール選抜男女リーグ(日本リーグ)に統合される形でその歴史的使命を終えた。日本国内大会としてのNHK杯は15回で終了したが、第16回以降は国際バレーボール大会としてリニューアルされた。また大会前後には「アフターNHK杯」、「プレNHK杯」と称した国際親善試合も何度か開催された〔『月刊バレーボール』日本文化出版刊 1988年7月号 175-176ページ 〕〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「NHK杯全日本6人制バレーボール選抜男女優勝大会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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