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2000年の日本シリーズ(2000ねんのにっぽんシリーズ、2000ねんのにほんシリーズ)は、2000年10月21日から10月28日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツと、パ・リーグ優勝チームの福岡ダイエーホークスによる第51回プロ野球日本選手権シリーズである。 == 概要 == 長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツと王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスの対決となった2000年の日本シリーズは、巨人が2連敗から4連勝で勝利し、6年ぶり19度目の日本一となった。長嶋は監督14年目にして2度目の日本一となった〔これは歴代の巨人監督の中でも遅いほうである(ただし、巨人で監督を14シーズン以上勤めたのはV9監督の川上哲治と長嶋だけである)。〕。 20世紀の日本シリーズにおいて、巨人OB対決(1983年、1987年など)は何度かあったが、巨人を日本一に導いているのは長嶋(他には1994年)だけとなった。本シリーズは、巨人のV9時代を支えた王・長嶋の「ON対決」として注目された。 本塁打数は巨人8、ダイエー7とほぼ互角だったが、巨人がチーム打率.285とほぼ実力を発揮したのに対し、ダイエーは.202と本来の力を発揮できなかった。城島健司が3試合連続を含む4本塁打(ともにシリーズタイ記録)と気を吐いたものの、左脇腹痛を発症させた小久保裕紀(.143、0本塁打、1打点)や、松中信彦(第1戦で本塁打を放ったものの安打はその1本のみ)らの主軸がブレーキとなり、3本塁打8打点の松井秀喜、2本塁打5打点の高橋由伸と主軸が活躍した巨人と対照的な結果になった。ダイエーは従来のシリーズ記録(49三振)を大幅に上回るシリーズ62三振を喫し、犠打数も巨人の7に対してわずか1(その1犠打は主軸の小久保である)と粗さが目立った。先発投手の防御率が8.25と早めの継投を余儀なくされ、第1戦、第2戦で活躍した救援投手陣も次第に巨人打線に通用しなくなった。 第5戦までは全てビジターチームが勝つという星取りになり、これは2011年まで最長であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「2000年の日本シリーズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 2000 Japan Series 」があります。 スポンサード リンク
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