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RAM・03
RAM・03 は、RAMレーシングがのF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。RAM・03はマンフレッド・ヴィンケルホックがドライブした最後のF1マシンであった。1986年には活躍の場をF3000に変えて登場した。RAM・03はF1世界選手権でポイントを挙げることはできなかった。 ==背景== RAMレーシングはマイク・ラルフとジョン・マクドナルドによって1960年代後半に設立されたが、1976年から80年にかけてカスタマーチームとしてF1世界選手権に参戦した。1981年からRAMは独自のシャシーを用いることになる。最初の2年はマーチ・グランプリに車両の開発を委託したが、これはRAMとロビン・ハードが設立し〔David Hodges: ''Rennwagen von A-Z nach 1945'', Motorbuch Verlag Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7, S. 165.〕、開発した車両はマーチを名乗ったものの、かつてのマーチ・エンジニアリングとは直接の関係は無かった〔David Hodges: ''A-Z of Grand Prix Cars 1906-2001'', 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2, S. 196.〕。1982年にRAMはマーチ・グランプリと袂を分かったが、車両はマーチの名を継続して使用した〔。1983年からRAMは独自に開発した車両を用いるようになる。RAM・マーチ01はマーチが開発した設計図を元にRAMが製作した車両であり、自然吸気のコスワースエンジンを搭載した。1984年にはイギリスのエンジンビルダーであるブライアン・ハートのターボエンジンを獲得した。 1985年シーズン、チームはアメリカのタバコ会社、ユナイテッド・ステーツ・タバコ・カンパニーがスポンサーとなり、車体は白と濃緑色のカラーリングに同社のブランド、スコール・バンディットのロゴが描かれた。チームは以前に比べてより多くの財政支援を受けた。予算に余裕ができたことで、チームは実績を持つデザイナーに以前の車の欠点を改善した新車を開発させられるようになった〔Hodges: ''Rennwagen von A-Z nach 1945.'' 1994, S. 219.〕。RAM・03の開発にはグスタフ・ブルナーが関わるようになったが、希望を満たすことはできなかった。問題の多いターボエンジンと、シーズン中盤で枯渇した予算のため、チームは成功からは見放された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「RAM・03」の詳細全文を読む
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