|
SLブームは、1960年代から1970年代に日本で起きた、蒸気機関車(Steam Locomotive = SL)を追うブームである。その時期については、1965年から蒸気機関車全廃の1975年までの約10年間とされる〔宮澤孝一「SLブームの時代」 交友社『鉄道ファン』2001年7月号 p.9〕。 == ブーム == 1960年代から日本国有鉄道(国鉄)が打ち出した無煙化政策(動力近代化計画)にともない日本全国で蒸気機関車が廃車となっていった。鉄道ファンはもとより、一般人も消えゆく蒸気機関車を追いかけて別れを惜しんだ。 このブームは鉄道ファンの裾野を大きく広げることになった。伯備線の布原信号場や函館本線の上目名などといった有名撮影地には多くのファンがお目当ての機関車の勇姿を撮影するために集まった。また、蒸気機関車牽引の列車に乗ったり、線路際でその走行音を録音するファンもみられた。これらは、日本の経済成長に伴い、カメラや録音機材が一般に普及したことも大きく影響している。キネマ旬報社からは蒸気機関車のみに対象を絞った『蒸気機関車』という雑誌(初代編集長は関沢新一)も刊行された。 反面、有名撮影地ではファン同士のトラブルに加え、地元民との間でもトラブルが発生し〔布原では、ある地主が撮影場所の「使用料」徴収を宣言したという話が当時の鉄道趣味雑誌に掲載されている。〕、今日でも議論となる“鉄道ファンのマナー”の問題が表面化した。 一方、国鉄の側もこうしたブームに乗じる形で、まだ現役として残っていた蒸気機関車に乗る・見ること自体を目的とした臨時列車を運行したケースがある。1973年には、小海線においてファンの熱意に国鉄が応える形で、C56形による旅客列車の復活運行が行われている。前年の1972年10月に、蒸気機関車の動態保存を目的とした梅小路蒸気機関車館が開館し、これは産業遺産の保存という目的と「鉄道100年記念」という名目だったが、SLブームの最盛期に開館したことでその関連を想起させることになった。 通常の営業運行の蒸気機関車は1975年で姿を消し、SLブームは終焉を迎えるが、“鉄道趣味”の存在を一般に大きく広げた点で、日本の鉄道趣味史上大きな意義を持つものであった。 なお、このブームはその後の「ブルートレインブーム」、いい旅チャレンジ20,000km等の「鉄道旅行ブーム」に大きな影響を与えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「SLブーム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|