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the原爆オナニーズ(ざ げんばくオナニーズ)は日本のパンクロックバンド。退屈で腑抜けた身体に強力なエナジーをチャージするスタイルで根強い人気がある。 == 概要 == 1980年の夏、名古屋のパンクバンドTHE STAR CLUBがそれまでの集大成としてアルバムを出すことになった。 ライブテイクを録り終えスタジオテイクを録っていた時に衝突が起きギターとドラマーが脱退した(音源はどちらもお蔵入りとなりイチから録り直された(ヘルプとして原爆オナニーズからHiko、大口ミキオが参加している))。 元THE STAR CLUBのギタリストであった良次雄は同じく元THE STAR CLUBのドラマー2人とHikoとで原爆オナニーズを結成した。「ロックンロールではないパンクロックをやる」というコンセプトだったようだ。 名古屋の老舗ライブハウスELLの10周年記念写真集によれば9月5日にデビューライブを行っている。 1981年初頭には3ピースとなってしまったがレコーディングをスタートしライブも精力的にこなしたものの春のレコーディング終了後に分裂したと語られている。 ELLでのライブは6月6日をもってストップ、しかしELL以外にも東京、大阪などでギグっておりいつ活動停止したかは不明である。尚、同時期に同じメンバーでHiko's、ANNEXE、NUMBERSといった別バンドの活動も行っていてNUMBERSはニューロンというバンドに進化しTAYLOWが参加する。 1982年初頭にTHE STAR CLUBオリジナルメンバーだったEDDIEがニューロンに加入し原爆復活を提案する。そしてバンド名の頭にtheを付けた新生原爆オナニーズ(全員が元THE STAR CLUB!!)が誕生し活動を再開。ELLでは5月1日からライブを開始した。原爆オナニーズとニューロンはEDDIEの加入を機に更なる進化を遂げ1982年、the原爆オナニーズとしてリニューアルされたと考えられる。 スタートメンバーは良次雄、TAYLOW、EDDIEの3人(大口ミキオはヘルパーとしての参加なのでプロフィールなどで名は伏せられている)で新ドラマーを探しつつの活動となった。 1983年になると良次雄がTATSUYAをメンバーに加えたが2人はTHE STALINへ引き抜かれ脱退。創始者であるメンバーを失ったバンドだがTAYLOW、EDDIEはこのバンド名のまま活動を続行する(2人はthe原爆オナニーズとしてはオリジナルメンバーである)。 ELLでは4月16日までライブを行いその後84年4月27日と5月13日に行っているが活動拠点のメインは芸音劇場、ハックフィン、オープンハウスなど今池のライブハウスに移したようだ(ELLとのスケジュールが合わなくなった為らしい)。 、TAYLOWはEDDIEのひとつ年上で。 グループ名はセックス・ピストルズのもじりで付けられた名称であるが、「原爆」「オナニー」といったネーミングについてボーカルのTAYLOWはベスト盤のライナーノーツにて、「このバンド名を名乗ることによって人々がこのバンド名に嫌悪感などの反応を持ち、核・反戦について問題意識を起こさせることができればよい」というように述べている。 かつてバンド名の頭にtheが付いたのは良次雄が脱退してからの1983年説もあったが各メンバーが語る最新の発言を元に考えた見解を上に記した。1982年結成がthe原爆オナニーズで1980年結成の方は後にオリジナル原爆オナニーズと称され区別されている。82年のライブではオリジナル原爆オナニーズ、ニューロン、村八分、RAMONESなどが演奏されていた。 過去に原爆とTHE GODが同じ日にライブをやったことはあったが2015年には原爆とTHE STAR CLUBが同じ日にライブを行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「The 原爆オナニーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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