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UCIワールドカレンダー(UCI World Calendar)は、2009年、2010年に開始された、自転車競技・ロードレースの年間シリーズ戦の名称。 == 経緯 == 2005年から実施されているUCIプロツアーは、ツール・ド・フランスなどのグランツールやクラシックレースなどの、ロードレースファン、関係者らにとって権威のあるレースばかりを集結させた画期的な年間シリーズ戦であるが、国際自転車競技連合(UCI)主導色が非常に強く、UCIとグランツール主催者との間で、運営等をめぐって深刻な対立を生むことになった。 2008年、グランツール主催者が一斉にUCIプロツアーからの離脱を決めたことから、同年における対象レースが激減したばかりか、ツール・ド・フランスなどのグランツールや、ロンド・ファン・フラーンデレンを除くモニュメントと呼ばれるクラシックレース〔ミラノ〜サンレモ、ロンド・ファン・フラーンデレン、パリ〜ルーベ、リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ、ジロ・ディ・ロンバルディアの五つのレースを指す。〕などが対象から外れたこともあり、シリーズ戦としては事実上有名無実化してしまった。 加えて、パリ〜ニースの開催をめぐってUCIとASOの深刻な対立が表面化。ひいてはこの一件が後々にも影響を及ぼし、ツール・ド・フランスの休息日にあたる同年の7月15日に、水面下でUCIプロツアーに代わる新シリーズ戦制定を画策していたグランツール主催者と、17のUCIプロチーム〔当時18のUCIプロチームの内、ツール・ド・フランスに参加していなかったアスタナ・チームを除く17チーム。〕が、翌2009年シーズンのUCIプロチームライセンスを更新しないことで合意した〔その後、この合意は撤回された。〕ことから、UCIプロツアーという制度そのものが崩壊の危機に立たされた。 この危機に対し、UCI会長であるパット・マッケイドは、国際オリンピック委員会 (IOC) 会長であるジャック・ロゲや、ツール・ド・フランスの運営責任者を務めたことがある同委員のジャン=クロード・キリーらを仲介者として招き、ASOの親会社であるエディシオン・フィリップ・アモリ (EPA) と交渉することになり、同年8月18日、UCIとグランツール主催者が共同で運営する新シリーズ戦を2009年シーズンより実施することで和解。これにより、従前のUCIプロツアーと、ヒストリカルレースという、グランツール主催者が主催・運営するレースを合体させたUCIワールドカレンダーが誕生することになった。 しかし、2011年シーズンにおけるUCIワールドツアー創設に伴い、UCIプロツアーとヒストリカルレースという、形式上は「二本立て」のシステムを取った同シリーズ戦は発展的解消となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「UCIワールドカレンダー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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