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USエクスプレス : ウィキペディア日本語版
USエクスプレス[ゆーえすえくすぷれす]
USエクスプレスThe U.S. Express)は、プロレスラーバリー・ウインダムマイク・ロトンドによるプロレスタッグチームである。1980年代中盤、ベビーフェイスの大型新鋭コンビとしてNWAWWFで活躍した。
なお、マイク・ロトンドはバリー・ウインダムの父親ブラックジャック・マリガンの娘婿であり、両者は義兄弟の間柄にある。
== 概要 ==
1983年9月、NWAフロリダ地区において、イライジャ・アキーム&カリーム・モハメッドのザンブイ・エクスプレスを相手に初コンビを組み、翌年より正式なタッグチームとして始動する。当時はまだチーム名がなかったものの、次代を担う新星同士のユニットとして注目された。1984年3月14日、マイアミにてロン・バス&ブラック・バートのロング・ライダーズを破り、フロリダ版のNWA USタッグ王座を獲得。以降もロング・ライダーズと同王座を争い、7月14日にチャボ・ゲレロ&ヘクター・ゲレロのロス・ゲレロスに明け渡すまで、通算4回に渡って戴冠した〔。このNWA時代には、同年6月30日にマイアミ・オレンジボウルにてロード・ウォリアーズ、9月1日にはグリーンズボロ・コロシアムにてイワン・コロフ&ニキタ・コロフザ・ラシアンズなど、当時を代表するヒールの強豪チームとも対戦している。
1984年末、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で同年より全米侵攻を開始していたWWFに2人揃って移籍、ベビーフェイスに転向していたルー・アルバーノマネージャーに迎え、USエクスプレスのチーム名で活動。1985年1月21日、コネチカット州ハートフォードにてディック・マードック&アドリアン・アドニスのノース・サウス・コネクションからWWF世界タッグ王座を奪取する。3月31日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたレッスルマニア第1回大会では、アイアン・シーク&ニコライ・ボルコフの反米コンビを相手に防衛戦を行ったが、シーク組のマネージャーだったフレッド・ブラッシーが投げ入れたステッキでウインダムが殴打されて敗退。一度はタイトルを奪われるも、6月17日のポキプシーでのTVテーピング・マッチにて奪還に成功した。以降はジョニー・バリアントがマネージメントするグレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキのドリーム・チームと抗争するが、8月24日のフィラデルフィアでの防衛戦において、バリアントの干渉によって再び王座から陥落、同年10月にWWFを離脱した〔。
1986年1月、揃って全日本プロレスに来日。ジャイアント馬場&天龍源一郎ジャンボ鶴田&石川敬士長州力&谷津嘉章アニマル浜口&寺西勇などのチームと対戦し、ザ・グレート・カブキと異色トリオを組んでの6人タッグマッチにも出場した。同年4月20日には、ミネアポリスメトロドームで開催されたAWAのビッグイベント "WrestleRock 86" に出場、スティーブ・カーン&スタン・レーンファビュラス・ワンズとの人気チーム同士によるベビーフェイス・マッチが行われた。しかし、翌月よりロトンドは単身でWWFに復帰し、ダニー・スパイビーをパートナーに新チームのアメリカン・エクスプレスを結成、袂を分かつこととなった。その後、1988年から1990年にかけて、両者は末期のジム・クロケット・プロモーションズおよび初期のWCWを共通の主戦場としていたが、ロトンドのヒールターンに伴うギミック変更やウインダムのフォー・ホースメン加入などもあり、USエクスプレスが再結成されることはなかった。
解散後は2001年1月28日の全日本プロレスの東京ドーム大会(カート・ヘニングとのトリオによる6人タッグマッチ出場)を経て、2003年11月にIWAジャパンにて17年ぶりにUSエクスプレスが復活、スティーブ・ウィリアムス&三宅綾ジャイアント・キマラ1号&木藤裕次などのチームと対戦した。翌2004年5月4日、後楽園ホールで行われたロトンドの引退試合では三宅綾を加えたトリオで、ジム・ドゥガンロード・ウォリアー・アニマル松田慶三組から勝利を収めた。
その後は2005年1月29日、かつての主戦場であるフロリダ州タンパで開催された "WrestleReunion" にてロン・バス&ラリー・ズビスコと対戦している。2008年3月10日にはWWERAWにおいて、"WrestleMania 1 Rematch" としてアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフとの対戦が予定され、久々にコンビでWWEのリングに登場。ジリアン・ホールの干渉で試合は行われなかったものの、ロトンドはジリアンへのお仕置きとして、USエクスプレス時代の得意技だったエアプレーン・スピンを放った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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