|
UWA世界タッグ王座(UWAせかいタッグおうざ)は、UWAが管理していた王座である。 == 歴史 == 1982年にメキシコのプロレス団体LLIが創設し、長州力&グラン浜田組が初代王座を獲得した。その後1984年に空位となるが、1991年に再開。日本ではユニバーサル・プロレスリング→みちのくプロレスで防衛戦が組まれていた。 1995年の同団体の消滅後もベルトのみ存続するものの、2000年頃にビジャノスが防衛戦を行わないため、連邦区タッグ王者のロス・ラヨス・タパティオスがUWA世界王座を主張。その後、同王座を奪取した東京愚連隊、ブエロ・エスペシャル&エル・エンデイボール組も主張するが、ビジャノスは2004年頃に防衛を再開した。 また、2008年5月11日にメキシコシティでヘル・ウォリアーズ(アニマル&パワー)がダミアン666&テリブル組を破り、元UWA役員から王座を認定されているが、正式なUWA王座とされず防衛戦もしなかった。 ビジャノスの王座返上後、東京愚連隊が保持していた連邦区王座を世界王座に認定。日本のプロレスリング・エルドラドが管理していた。 エルドラド解散後は、その後設立されたプロモーションである紅白プロレス合戦で選手権試合が行われていた。 2014年2月5日を以って紅白プロレスがファイナルを迎え、同興行でヤス・ウラノ&HIROKIが獲得したが、異なる団体を主戦場としているため以降の防衛戦などは未定とされていた〔【紅白プロレス合戦】ファイナルのメインはちゃんこランブル バトル・ニュース 2014年2月5日〕。しかし、3月23日のユニオンプロレスラゾーナ川崎プラザソル大会にHIROKIが参戦した際、福田洋&MEN'Sテイオーが挑戦を表明し、4月27日のラジアントホール大会でタイトルマッチが組まれることになった〔【川崎リポート】イサミがマルコフからMAX王座奪還! 光留が次期挑戦を表明!!/ビアードが“ホント”の女の子を連れて5・18後楽園への参戦熱望/テイオー&福田がヤス&HIROKIのUWAタッグ挑戦へ/ガンプロ4・6北沢の全面対抗戦に石川出陣 DDTプロレスリング 2014年3月23日〕。以降はそれまでタッグベルトのなかったユニオンにおけるタッグ王座として防衛戦が行われている。 2015年6月にバラモン兄弟に流出後、10月を以てユニオンが解散。以降はバラモン兄弟の意向に依るが未定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「UWA世界タッグ王座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|