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Uボート(、)は、ドイツ海軍の保有する潜水艦の総称。一般的には特に第一次世界大戦から第二次世界大戦の時期のものが語られる。 ドイツ潜水艦隊の華々しい活躍により、Uボートの名はドイツ潜水艦の代名詞として広く普及した。第一次大戦では、約300隻が建造され、商船約5,300隻を撃沈する戦果を上げた。第二次大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻のUボートの損失を出した。 後に連合国が有効な対策を編み出した事もあり、全ドイツ軍の他のあらゆる部署よりも高い死亡率であった〔「ナチス潜水艦U745の謎」ナショナルジオグラフィックチャンネル〕。 == 概要 == ドイツ語の「''U-Boot''(ウーボート)」は「''Unterseeboot''(ウンターゼーボート、水の下の船)」の略語であり、潜水艦を意味する。本来のドイツ語では、U-Bootは時代・国籍を問わず全ての潜水艦を意味する言葉として使われているが、英語で''U-boat''(ユーボート)と言った場合は専ら第一次大戦・第二次大戦時期のドイツの潜水艦を意味する言葉として使われる〔タイムズ紙1914年4月25日号 でUボートの呼称が確認でき、第一次大戦の早い段階で認知されていたことがわかる。〕。 潜水艦の用兵には、さまざまなものがあるが、第一次、第二次の両世界大戦におけるドイツ海軍のUボートは、共に通商破壊を目的として使用された。ドイツ海軍は十分な水上艦戦力をもたないため、制海権は絶えず英国側にあった。そのため、海上封鎖を水上艦では行えず、敵の強力な水上艦隊の勢力下でも作戦行動が可能な潜水艦が、この任に最適だと考えたのである。 潜水艦は「敵に発見されにくく、大型船を撃沈できる魚雷をもち、建造費が大型艦に比べれば安価である」とのメリットの反面「速度が低く、会敵の機会が少なく、接敵できても強力な護衛のつく水上艦との戦闘では不利」とされた。また、潜水艦の隠密性を最大限活用するため、Uボート戦では、商船に対しても無警告攻撃という戦法がとられた。主な標的となったのは、両大戦を通じて、敵国のイギリスなどと、植民地とを往来する商船であった。第一次世界大戦にアメリカが参戦した後は標的にアメリカからヨーロッパへの物資・兵員を積んだ商船が追加され、第二次世界大戦においては援ソ船団も加わった。 第二次世界大戦においては、連合国側は様々な対潜水艦戦略および戦術を展開し、最終的に旧型Uボートは劣勢に追い込まれていった。「対Uボート戦の末期(と初期)では立場が逆になった。狩られるのは商船ではなくUボートになったのである」(チャーチル・世界危機)は、両大戦のUボート戦を端的に表している。 また、Uボートの正確な位置は上層部も知らず乗組員たちにしか分からなかったため、定時連絡が無くなってようやく「どうやら沈んだらしい」程度の事しか分からなかった〔。 また、通商破壊以外の用途としては、技術や物資の隠密輸送などに使用されたりもした。第二次世界大戦時には、同盟国の大日本帝国海軍に寄贈され複数が運用された他、日本の占領下にあったペナンを拠点に日本軍の支援を受けて活動していたものの、1945年5月のドイツの敗戦後に乗務員の同意を受けて大日本帝国海軍に接収された艦もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Uボート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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