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V-1ミサイル : ウィキペディア日本語版
V1飛行爆弾[ぶいわん]

V-1(ブイワン。ドイツ語でファオ アインス)とは、第二次世界大戦時、ドイツ空軍が開発したミサイル兵器である。パルスジェットエンジンを搭載した、現在の巡航ミサイルの始祖とも言える兵器である。宣伝相ゲッベルスはこれを「報復兵器第1号(Vergeltungswaffe 1)」と命名して対英報復を煽った。V-1 とは上記の略号である。正式名称はフィーゼラー Fi 103である。

== V-1の実用化 ==

1933年頃、フィーゼラー社が空軍に対してこの種の兵器の開発を提案していたと言われるが、空軍は関心を示さなかった。しかし、1942年6月、ドイツ空軍はフィーゼラー社に対してパルスジェットを動力とする飛行爆弾の開発を命じる。これが V-1 開発の始まりである。理由は、イギリス本土に対する爆撃機による戦果が期待できない問題や、陸軍が開発する V-2 に対する対抗意識もあったと言われている。この飛行爆弾には有人飛行機同様フィーゼラーFi 103 の呼称が与えられたが、兵器の特性上、機密保持の観点から「Kirschkern(サクランボの種)」及び「Flakzielgerät(高射砲標的装置)」と呼ばれ、秘匿される。
なお、パルスジェットエンジン本体はアルグス社、誘導装置をジーメンス社、発射台をヘルムート・ヴァルターの会社が担当したので、フィーゼラー社が携わったのは機体本体のみである。
誘導装置はジャイロスコープによって方向を設定、アネロイド気圧高度計によって飛行高度を設定、機首先端にある小さなプロペラの回転数によって飛翔距離を割り出し、一定回転数でエンジン停止、制御装置が機体を急降下させ目標に突入する。パルスジェットエンジンは、この時代に研究されていた他のジェットエンジンに比べると格段に構造が簡単なうえに、第二次世界大戦中当時では他の燃料より供給を得やすかった自動車用低オクタンガソリンで作動できる長所を備えていた。
1942年12月、Fw 200コンドルより投下実験、同12月には V-2 の実験を行っていたペーネミュンデ陸軍兵器実験場 (HVP) の西隣の空軍兵器実験場カールスハーゲンよりバルト海に向けて試射に成功した。開発を命じてからわずか6ヶ月というスピードであるが、これは V-2 と違い、単純な構造であったことと、V-2 がそのほとんどを手探りで進まざるを得ない新技術を大量に導入しなければ完成しない兵器であったこととの差である。こうしてこの新兵器は、長距離ロケット V-2 のライバルとなった。イギリスに対する長距離攻撃兵器として V-2 とどちらを採用するかは、新たに発足された長距離攻撃委員会にゆだねられることになった。
1942年5月26日、長距離攻撃委員会の委員はペーネミュンデで討議を行い、結局どちらも生産という結論に達した。委員は発射見学をするが、このとき V-2 は50%の成功確率であったにもかかわらず2回中2回成功、かたやV-1は2回中ともに墜落という不運に見舞われる。当然、軍は V-2 に注目、割りを食ったV-1は1944年6月にようやく実戦配備となる。実にノルマンディー上陸作戦の1週間後である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「V1飛行爆弾」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 V-1 flying bomb 」があります。



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