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V3 砲は第二次世界大戦にドイツで研究・開発された多薬室砲である。V3の名称の由来は報復兵器第3号(Vergeltungswaffe 3)にある。この砲の砲身は150メートルにも及ぶ長砲身であり、この砲身側面には合計28個の薬室が取り付けられた。この薬室は砲身に対して枝状に後退角が設けられている。 計画名からV3 15センチ高圧ポンプ砲(V3 15センチこうあつポンプほう)の通称でも呼ばれるが、ポンプを利用した火砲ではない。 == 開発経緯 == 本砲は、シュタールヴェルケ社のコンダー博士により考案され、フランス沿岸から直接ロンドンを砲撃できる長距離砲として研究されていた。1943年初期に、当時軍需大臣であったアルベルト・シュペーアを介してヒトラーに提案がなされ、開発に至った。 このときの博士による提案は、砲弾となる15センチ有翼高性能炸薬ロケット弾の発射に際し、150メートルに及ぶ砲身側面に等間隔に合計28個の薬室を設置し、この薬室内の装薬が電気点火により次々に燃焼、その時に得られる高圧ガスにより砲弾の発射速度を徐々に上げ、ロンドンまでの直線距離である152キロメートルまで砲弾を飛ばすといった内容であった。 この提案に強い関心をもったヒトラーはフランス、カレー地方にこの長距離砲50門の建造を命令した。ポンプの開発計画に偽装するためプロジェクト名は「Hochdruckpumpe(高圧ポンプ)」とされた。他にもFleißiges Lieschen(アフリカホウセンカ)のコード名も用いられた。完成後は多数の薬室が並ぶ形状から「Tausendfüßler(ムカデ)」という渾名で呼ばれた〔Land Battleships: Ever Hear of the V-3 Super Gun? Big Artillery, So You Don't Go Broke 〕。 1943年の夏頃からロンドンに最も近いフランスのカレー地方とマルキス・ミモイェーク地方に発射場の工事が開始された。その一方、砲自体はドイツ国内にある陸軍ヒラースレーヴェン砲撃実験場にてコンダー博士の指導のもと極秘に開発が進められ、この試作砲は別にバルト海に面するミシュドロイ方面にも設置、1943年末には専門の砲兵大隊の訓練が開始された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「V3 15センチ高圧ポンプ砲」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 V-3 cannon 」があります。 スポンサード リンク
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