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VI号駆逐戦車 : ウィキペディア日本語版
ヤークトティーガー

ヤークトティーガー()は、第二次世界大戦後期に開発され、実戦に投入されたドイツ重駆逐戦車である。重戦車ティーガーII車台を延長して砲塔を撤去し、戦闘室を構築して12.8cm砲を搭載した。制式番号はSd.Kfz.186である。
== 開発 ==
1943年初期、前線から「3,000メートルの距離で敵戦車を撃破可能な自走砲」を要望する声に応え、「12.8cm砲付き重突撃砲」の名で開発が始められた。開発はティーガーII とほぼ並行に進められ、同年12月から量産に入る予定だったが、製造工場のニーベルンゲン・ヴェルケ(製作所)がIV号戦車の生産に追われていたため、量産を開始したのは翌年2月からとなった。また、生産開始に伴い、正式に「ヤークトティーガー」と命名された。1945年1月までに150輌を完成させる予定だったが不可能であるとされ、1945年に入ってからの生産計画で100輌生産後にティーガーIIに生産切り替え、5月以降は(装甲戦闘車両の生産経験の無い)ユング社が生産引き継ぎ、と変更された。
工場側の記録では、1944年7月から1945年4月までの生産数は82輌に留まった。48輌のみが完成したとする説もあるほか、逆に部隊配備のための輸送記録では100輌を越え、生産中に工場が爆撃されたこともあり、実際の生産数は不明確である。
主砲は超重戦車マウスに搭載される予定だった巨大な128mm砲(12.8 cm PaK 44 L/55)を搭載し、射角は左右各10°ずつ、俯仰角は-7 - +15°の範囲で動かすことが可能であった。砲弾のみで28kgもの重さだったので砲弾と薬莢が分離式の装填方法がとられ、装填手は2名搭乗していた。他に、128mm砲の生産が遅れぎみであったため、代わりに71口径88mm砲(8.8cm PaK43/3 L/71)を搭載した型が計画されたが、2両が生産されたのみに終わった。主砲は移動時から戦闘態勢に入るまで、車外のトラベリング・クランプを解除するのに時間がかかる欠点があった。128mm PaK44は大戦中最強の対戦車砲であり、連合軍のいかなる戦車であろうとも撃破が可能で、建物の反対側に隠れたM4中戦車を撃破した記録もある。
前面最大250mmに達する分厚い装甲と、55口径128mm戦車砲という巨大な攻撃力を兼ね備えていたが機動性は劣悪で、1日に移動できる距離が30 - 40kmであればいい方であり、2日で90km移動したことが「大記録」とみなされるほどであった。長距離の移動を列車で行う場合、スカートを外して幅の狭い履帯を装着して貨車の幅に合わせるようになっていたが、現実には列車の手配が間に合わず自走することが多かった。
高い防御力の対価である大重量は、敵軍に撃破される前に、重量によるエンジンや変速器、ブレーキの故障の頻発や燃料消費が多いといった事態を引き起こした。また、行動不能になった場合の牽引も通常の牽引車では力不足で、戦闘による被撃破より、燃料切れや故障、軽度の損傷により放棄され、自爆処分された車輌の方が多かった。生産数が少ないこともあって戦局に大きな影響を与えることは出来なかったが、正面からヤークトティーガーを撃破できる連合軍の火砲は存在しなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤークトティーガー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jagdtiger 」があります。



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