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WWFジュニアヘビー級王座(''WWF Junior Heavyweight Championship'')は、かつてWWFが認定した王座である。 == 概要 == 1965年にジョニー・ディファジオが初代WWWF世界ジュニアヘビー級王者に認定される〔古舘伊知郎がワールドプロレスリングで実況を務めていた頃、本王座を「ディファジオ・メモリアル」と呼んでいたのは、これが由来である。〕。1978年にWWWFジュニアヘビー級王座として復活するまでの王座の変遷は不明確な点が多い。 1978年1月23日に新日本プロレスの藤波辰巳が、ニューヨーク州ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダを破り第3代王者となり、日本へ凱旋帰国してからは新日本プロレスに王座が定着する。藤波は途中剛竜馬に王座奪取を許すも、4年近くにわたり王座を保持した。藤波がヘビー級転向に伴い王座を返上してからはタイガーマスクが長く保持し、彼が中心となってダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、グラン浜田、小林邦昭らが王座を争い、新日本プロレスの全盛期を彩った。 その後はザ・コブラが王座の中心となるも、1985年10月31日にWWFと新日本プロレスが業務提携を解消することに伴って王座返上、そのまま封印。その後、IWGPジュニアヘビー級王座が創設されることとなる。 なお、SWSがWWFとの提携を行ったさい、新日本プロレスが王座を返上し、休眠状態にあった同王座を復活させようとするプランが持ち上がったが、こちらは立ち消えとなり、独自の王座(SWSジュニアヘビー級王座)を認定している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「WWFジュニアヘビー級王座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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