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W・H・スミス(、ダブリュー・エイチ・スミス)は、イングランド、ウィルトシャー州スウィンドンに本社を置く英国の小売業者である。口語ではスミシズ () で知られる。 同社は商店街、鉄道駅、空港、病院、高速道路のガソリンスタンドで書籍、文房具、雑誌、新聞、娯楽品を販売するチェーンストアで知られている。W・H・スミス社はロンドン証券取引所に上場しており、FTSE250種総合株価指数の組入銘柄である。世界初のチェーンストアであり、ISBN書籍分類システムを創り出す役割を果たした創造的な企業である。 ==歴史== ===設立=== 1792年にヘンリー・ウォルトン・スミス () と妻のアンナ () はロンドンで新しい行商事業としてW・H・スミス商会を設立した。〔WH Smith: History 1792-1900 〕2人の死後、商会(1812年時点で1,280ポンドの価値)は息子のが引き継ぎ、1846年に同名の息子ウィリアム・ヘンリーを共同事業者として W・H・スミス・アンド・サン () に改組した。〔 商会は鉄道ブームに乗じて、1848年のユーストン駅 () を皮切りに鉄道駅にニューススタンド () を設置していき〔、鉄道を利用することで新聞の主要な全国的配送会社になった。息子ウィリアム・ヘンリーは、事業の成功を足場にして政治の世界に足を踏み入れ1868年に議員となり〔、保守党政権で何度か大臣を勤めた。 息子ウィリアム・ヘンリーの死後、彼の未亡人エミリー・ダンヴァースは、自身の権利として子爵家を創立し、ハンブルデン女子爵 () となった。〔この夫妻の息子は父親からは事業を、母親からは子爵の位階を継承した。第2代ハンブルデン子爵が1928年に死去すると事業はリミテッド・カンパニー () に再構築され、彼の息子の第3代ハンブルデン子爵は全ての普通株式の所有者となった。〔WH Smith: History 1901-1989 〕1948年に第3代子爵が死去した時の相続税が厳しいものだったので会社を公開会社にせざるを得ず、株式をW・H・スミス社の従業員と市場に売却した。〔第3代子爵の弟は1972年まで会長の座にあったがスミス家の影響力は薄れ、1996年にスミス家最後の経営幹部が引退した。〔WH Smith: History 1990-Present 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「W・H・スミス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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