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相撲用語に言うところの「かわいがる」とは、相撲界の隠語で躾や心身鍛錬のために「厳しい稽古」で痛め付ける、鍛えることを意味する。かわいがりとも呼ばれる。荒稽古は親方や兄弟子による「愛の鞭」であるとされるが、「かわいがり」の名を借りた暴力により怪我をしたり、ひどい場合死亡事件が起きることがある。相撲界のみならず一般的な隠語としても利用されている。 古くから相撲部屋では兄弟子が弟弟子の心身鍛錬のために胸を貸し、通常より厳しいぶつかり稽古(荒稽古)を行い、強い力士を育成することを指す〔。昭和時代の相撲雑誌にはすでに「かわいがる」という言葉がこの意味合いで使われている。 == エピソード == 相撲史の中では、常陸山が太刀山を、太刀山が栃木山を、栃木山が玉錦を、玉錦は双葉山を、というように、一時代を担った横綱が一門や部屋の別を越えて期待の若手に胸を出してかわいがった逸話が多く残る。 かつてかわいがった後輩に時代を譲る形で身を引いた力士も多く、こうした例は多く美談として残る。中でも、玉錦を双葉山が本場所で初めて破り、69連勝への足がかりとした「覇者交代の一番」は、かわいがりへの恩返しの代表例として、よく引かれる例となっている。他にも、千代の富士が、若い頃かわいがられた貴ノ花に本場所で引導を渡す黒星をつけ、やがてその息子である貴花田に敗れて引退を表明している。安馬(後の日馬富士)は朝青龍に勝利した際に「すごくかわいがってもらったので、恩返しできて良かった」と述べたことがある〔安馬、勝負に徹して「恩返し」/秋場所 サンスポ 2008年9月22日配信〕。 自らも素質にはめぐまれなかったものの、他を圧倒する猛稽古で横綱昇進を果たした玉錦を開祖とする二所ノ関一門の猛稽古は、一門の代名詞ともなるほどで、それにまつわる逸話は数多い。特に昭和30年代頃までの分家独立を推奨した一門の方針のため、それぞれ「内弟子」を抱えた現役力士たちの意地の張り合いもあって、稽古場は本場所さながらの真剣勝負の場であったという。 のちの横綱若乃花や大関琴ヶ濱が、「とにかくそれぞれの師匠が土俵の周りから厳しい目で見ているので、間違っても手を抜くことなんかできなかった。そこへまた、一番恐ろしい兄弟子の力道山がいるんだから」と証言している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「かわいがる」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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