翻訳と辞書 |
くす型護衛艦[くすがたごえいかん]
くす型護衛艦(くすがたごえいかん、JMSDF PF KUSU class Patrol Frigate)は、海上自衛隊草創期の護衛艦(PF)(当初は警備艦に類別)。前身はアメリカ海軍のタコマ級哨戒フリゲートで、1953年に18隻が貸与された。1972年までに全艦除籍済み。 == 概要 == くす型の前身であるタコマ級哨戒フリゲートは、第二次世界大戦においてアメリカ海軍が建造、運用した護衛艦である。96隻建造されたうち21隻がイギリスに貸与され、残り75隻がアメリカで運用されたが、1945年、対日作戦用として28隻がソ連の労農赤色海軍に貸与された(そのため、貸与直後には艦内の所々にロシア語表記が見られ、倉庫にはソ連製の部品があったという〔平間洋一「海上自衛隊55年の歩み」『世界の艦船』684集 2008年〕)。戦後、沈没した1隻を除く27隻がアメリカに返還され横須賀港に係留されていたが1950年の朝鮮戦争の勃発に伴い急遽再整備され、朝鮮水域に出動した。 1950年(昭和25年)夏、吉田茂内閣総理大臣が主催する会食の席上、米極東海軍司令官C・ターナー・ジョイ中将より野村吉三郎元海軍大将に対して、横須賀で保管されていたこれらのフリゲートを日本に貸与するという提案がなされた。これは非公式の打診であったが、1951年(昭和26年)10月19日には、正式にマシュー・リッジウェイ連合国軍最高司令官より、50隻のLSSLとともにフリゲート18隻を貸与するとの提案がなされ、吉田首相はこれをその場で承諾した。これらのフリゲートは、当時連合国軍占領下の日本において唯一の洋上実力組織であった海上保安庁により運用されることとなったが、海保の当初構想とは異なり、従来の巡視船を増強しての分散運用ではなく、海保部内でも一種独立した組織において集合運用されることとなった。これは再軍備の一環として、陸上における警察予備隊に対応する組織を目指したものであり、1952年(昭和27年)には海上警備隊として発足した。ただしPFが「船舶」なのか「軍艦」なのかといった論争の的になるなどで時間を食い、これらの艦が正式に引き渡されたのは1953年(昭和28年)になってからである。海上警備隊は、同年8月には保安庁警備隊として海保から独立し、1954年(昭和29年)7月には防衛庁海上自衛隊に改編された。 本級は海上自衛隊の護衛艦となって以降、国産護衛艦の就役後も水上戦力の中核として活動し、1962年(昭和37年)には全艦供与に切り替えられた。1965年(昭和40年)代以降、老朽化のため順次引退し、1972年(昭和47年)の「かや」PF-288の保管船への区分変更を最後に護衛艦籍から姿を消した。 本級の艦番号はDEと同じ200番台(281~298)であるが、艦種記号はDDでもDEでもなく、アメリカ海軍当時のPFを引き続き使用した。なお、当初は1から始まっていたが、1957年(昭和32年)9月1日に280が付加されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「くす型護衛艦」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|