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こいずみじゅんいちろう : ウィキペディア日本語版
小泉純一郎[こいずみ じゅんいちろう]

小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年昭和17年〉1月8日 - )は、日本政治家
衆議院議員(12期)、厚生大臣(第697081代)、郵政大臣第55代)、内閣総理大臣(第878889代)、外務大臣(第132代)、農林水産大臣(第38代)、自由民主党総裁(第20代)などを歴任した。
== 概要 ==
福田赳夫秘書を経て、1972年第33回衆議院議員総選挙で初当選し、以来12期連続当選。自由民主党では清和会(福田派、安倍派、三塚派、森派)に所属した。また、山崎拓加藤紘一と「YKK」を結成し、経世会支配からの脱却や党の世代交代を訴え「グループ・新世紀」を旗揚げした。
竹下政権にて厚生大臣として初入閣、宇野政権、橋本政権でも厚生大臣を務め、宮澤政権では郵政大臣を務めた。森喜朗の後任として自由民主党総裁に選出され、2001年(平成13年)4月に内閣総理大臣に就任した。内閣総理大臣の在任期間は1980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては佐藤栄作吉田茂に次ぐ第3位。平成時代においては最長の長期政権である。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙には立候補せず、二男小泉進次郎を後継指名し政界を引退した。引退後は、奥田碩田中直毅らとシンクタンク「国際公共政策研究センター」を設立し、その顧問を務めていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小泉純一郎」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Junichiro Koizumi 」があります。



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